バリアフリーな修学旅行

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学の修学旅行、私が担任しているクラスは三年九組である。

九組はいつも見学の最後になる。

集合に遅れると全体の移動に大きな影響を与える。

現に、前の見学地で九組は集合に遅れてしまった。

遅れた理由は、はっきりしている。

男子全員が交代しながら、Sの手を引き、
身体を支えて、熊本城の天守閣に上ったからである。

Sを連れて行くと危険だし、時間がかかるので
天守閣の入り口で待っている、
天守閣には、自分たちだけで上るように、と言ったのに、
私の目をかすめてSを連れて行ってしまった。

他のクラスの生徒からそのことを聞き、
男子の行動に感動しながらも、集合に遅れはしないかと、
ハラハラして待っていた。

ガヤガヤとSを連れて下りてきた彼らの姿が、
感謝の涙で曇ってしまい、「ありがとう!」と言ったけれども、
次に「急いで!」と叫んでいた。

当然、三年九組の遅刻は、責任者である学年主任をイライラさせていた。

「理由は分かるけれども、集団行動なんだから、
 時間は守ってもらわないと困る」と言われた。

四百名近い集団を引率する者の責任は重い。

私は当然のことと受け取った。

だから、次の見学地の「球泉洞」では、なんと言って
男子を説得しようかと、バスの中で考えていた。

球泉洞は、やはり危ない。急な階段、滑りやすい細い石の道、
そこで身体の不自由な男子生徒を支えて行くのは危険である。

私は、
「見学地が危険なので、Sと私は入り口近くで待っている。
 だから副担任の指示で見学するように」と言った。

みんなは、担任の言葉を聞くと納得してバスを降りた。

しかし、Cだけは違った。

「先生が、そやん冷たかて知らんかったばい」
Cはそんな風に私をなじった>>>

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は、バスから降りる時、私の冷たさをなじって、
Sをひょいと背負うと、担任を無視して歩き出したのである。

Cの体重は百キロ近い。Sを背負うと親子のようである。

Sは素直にCに背負われている。

他の男子生徒は、その周りを守るように囲んで歩いて行く。

私は慌てて彼らの後を追った。

実は、その数週間前、Cに関するある事件があった。

校舎の壁に、スプレーで彼を誹謗する落書きがあった。

Cは小学校の時はいじめっ子だった。

体も大きく、乱暴でいたずらの限りを尽くしたらしく、
相当多くの子の恨みを買っていたようである。

一度消したが、また落書きがあった。

私は直ちに集会を開いてもらい、
「彼は確かに昔悪かった。しかし、今、彼は頑張っている。
 落書きのような卑怯なことはやめてほしい」

と皆に訴えた。

その後は、クラス全員で梯子をかけて落書きを消した。

この事件の後、Cは少し変わったような気がした。

私は球泉洞への道をCの後にくっついて歩きながら、
覚悟を決めていた。

遅れたら仕方がない。私が謝るだけだ。

あとは事故が起きないように、
すぐ後ろからピタッとくっついて行くだけだ。

何かあったら全身で受け止めよう。

それしかない。

途中で先頭のクラスとすれ違う場面があった。

生徒たちは「うわぁ、Cはすごかね!」とか、
「S!よかったね」などと口々に言って別れた。

Cは少し得意そうであった。

小学校の時、まだ小さかったSを
男の先生がよく背負って旅行に行った。

今、それを自分がしている。

彼は、自分が、自分以外の誰かの役に立っているのが、
よほど嬉しかったに違いない。

ほんの少しCと目があった時、Cの目は潤んでいた。

やっと何とか無事に出口に着いた時、
私はCと周りをガードしてくれた男子たちに感謝した。

私は「冷たい」と生徒に叱られたけど、
教師として、こんなに幸せなことはない、とそう思った。

今、Cはトラックの運転手。

Sは元気に役所勤めをしている。

参考本:心にしみるいい話(佐賀新聞社)【バリアフリーな修学旅行】

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