長嶋さんは、天才ではなく練習の虫だった

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にかくエピソードに事欠かない長嶋茂雄さんです。

今回は、六大学時代に当時のホームラン記録を
樹立したときのことをご紹介したいと思います。

長嶋さん、立教大学の1年~2年前半くらいまでは、
ほとんど目立たない弱打者だったのです。

1割5分~1割7分台の打率でした。

打てもしない選手をなぜ使うのかと、
当時の監督(砂押監督)も責められていたそうです。

砂押監督は、鬼と言われたスパルタ式の監督でした。

その鬼監督が、弱打者の長嶋さんを使い続けた理由はただひとつ。

誰よりも誰よりも、練習の虫だったから

誰よりも練習の虫と認められながらも、結果の出ない長嶋さんは悔しくてならず、
さらにもっと寸暇を惜しんで練習の虫中の虫となりました。

長嶋さんの練習の成果が実り始めたのが、2年生の秋季からです。

3割台をマーク。

そして、3年生になったら打率4割5分8厘で初の首位打者になりました。

天才と呼ばれた長嶋さんだって、最初は負けの連続だったし、
しかも結果が出てくるのに諦めたくなるほどの時間を必要としています。

4年生になったら、六大学のホームラン記録を狙う立場になりました。

当時の記録が7本。長嶋さんはそれに並ぶタイ記録のところに立っていました。

しかし、期待された8号がなかなか出てきません。

さすがの長嶋さんもプレッシャーに押しつぶされそうでした。

どうすればいい?

悩みの日々が長嶋さんを眠れなくしました。

いよいよ残り試合は、1試合のみ。

ここで何としても1本出したい。その思いがますますつのります。

長嶋さんは、悩んだ末、大学の構内にある教会の牧師さんを訪ねました。

牧師さんはこう言ってくれたのです>>>

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師さんはこう言いました。

記録なんてどうだっていいじゃないか

長嶋さん、口あんぐりです。

どうだっていい?

「いつもの君らしく大暴れしてこいよ。それでいいじゃないか」

これで長嶋さんの気持はす~~~っと楽になったそうです。

そして迎えた最後の試合です。

第一打席は、サードゴロで凡打でした。

このとき長嶋さんの耳にスタンドからの少年の声が聞こえたそうです。

「長嶋なんてつまんないや。
 長嶋はいつも楽しそうにかっ飛ばすから好きだったのに」

長嶋さん、その声にも目から1枚うろこが落ちたそうです。

そうだ、そうなんだ

俺は野球を楽しむことを忘れてたんだ。

7号ホームランを打ってから、なんと88打席目だったそうです。

長嶋さん、バットケースから他の選手のバットを引っこ抜き、打席に入りました

もう誰のバットとか、道具を選ぶとか、
そんなこと関係ない世界に入ってたのでしょうね。

長嶋さん、得意のフルスイングでボールを捕らえました。

ボールは美しい弧を描き、レフトスタンドに吸い込まれて行きました。

最後の最後にメイクドラマをやりあげるところなど、
このころから長嶋さん劇的だったのですね。

六大学野球、ホームラン新記録達成の瞬間でした。

参考本:明日が見えないときキミに力をくれる言葉
出版:SB文庫
著者:ひすいこたろう

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