偉大な喜劇役者、なぜ病をおしてボランティアを強行?

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う40年以上前のことです。

柳家金語楼(やなぎやきんごろう)という落語家・喜劇俳優がいました。

Sさんはボランティアの世話人として、
金語楼さんの老人ホーム慰問の仲介をしていました。

多忙な金語楼さんのスケジュールをなんとか都合してもらい、
3か所の老人ホームを慰問してもらうことになっていました。

ところが、その前日、マネージャーから電話がかかりました。

「師匠は、昨日からひどい高熱で食事もとっていないので、
 明日の慰問は中止にしてほしい」

Sさんは大あわてしました。

ホームの老人たちは、慰問が決まった日から
一日千秋の思いで待ちわびていたのです。

「本当に来てくれるんですか?」
と念を押してきたホームもあったほどです。

中止の知らせを聞いたら、どんなにかお年寄りの方々は落胆するだろう。

Sさんは、それを思うと連絡するにも、気が重く躊躇しました。

しかし、慰問は明日です。事は急を要します。

早く知らせないと、二重の迷惑をかけてしまいます。

意を決して、Sさんが電話をかけようとした時、
再びマネージャーから電話がかかってきました。

「先ほどは、中止のお願いをしましたが、師匠はどうしても、
 うかがうと申しておりますので、予定通りでお願いします」

Sさんは飛びあがって喜び、ホームへ連絡しなくてよかったと、ホッとしました。

当日の金語楼さん、

「ご心配をかけてすまなかった。もう大丈夫です。
 今日を楽しみにしていたんですよ」

と笑顔を見せてくれましたが、その声にはいつもの張りがなく、
顔色もすぐれませんでした。

ところが、ひとたび壇上に立つと、
ピンと背筋を伸ばし、愛嬌たっぷりの笑顔で、
「えー、わたしの顔をごらんになると、向こう一年間は下痢をいたしません。
 なぜならば、わたしの顔がくだらないからです」

会場のどっとした爆笑が静まるのを待って、
「どうぞ、金語楼のくだらない顔をごらんになって、
 長生きをしてくださいませ」
といった調子でお笑いを一席。

終わると、サインや記念撮影に快く応じ、
辞去する時はもみくちゃにされながらも握手して、
大歓迎のうちに三か所の慰問を終了しました。

数日後、お礼のため事務所を訪れて、マネージャーから当日の話を聞き、
Sさんは、金語楼さんの心意気に深く心を打たれたそうです。

師匠の熱があまりにもひどいので、
マネージャーは独断で慰問中止の電話をかけました。

それを聞いた金語楼さんは、きつくマネージャーを叱りつけたのです。

今の若い芸人さんのみならず、お客様相手の従事者には、

金語楼さんのこの心意気、学びたいところです>>>

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語楼さんは、マネージャーをきつく叱りつけました。

「ギャラを頂戴しての出演なら、ギャラをお返ししても取り止めができるが、
 奉仕の出演はそうはいかない。金銭ではなく、相互の信頼で成り立つ。
 無料の出演だからこそ、取り止めなんぞできないんだ」

こうして、予定通りの三か所の慰問を指示したといいます。

そして当日は、人目に触れぬように熱さましを服用しながら、
約束を果たしたのでした。

「兵隊落語」以来、笑いの王者として一世を風靡した柳家金語楼。

この方が伝えた人生学もまた教わることの多い内容です。

「三番四番の順位を維持しながら、一番になる努力をしたい」

「あくまでも役者であることにこだわりたい」

「怒りは無智、泣くは修行、笑いは悟り、六十にして、ようやくわかってきた」

「わたしは未熟な役者、死ぬまで修行」

そう言い続けて、舞台の合間でも、セリフを練習したり台本を書いたり、
また街頭で杖をつく老婆を見ると、その仕種を観察して芸に生かすなど、
その姿勢で後進に道しるべを与えてくれました。

金語楼さんは、これから三ヶ月後に、七十一歳の生涯を閉じました。

慰問の時はすでにガンにおかされていたのでした。

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