東日本大震災・命がけのアナウンス ~遠藤未希さんと母親美恵子さんのこと~

b083
城県南三陸町で、震災発生の際、
住民に避難を呼びかけ、多くの命を救った
防災無線の音声が完全な形で残っていることが分かりました。

亡くなった町職員の遠藤未希さんの呼びかけが
すべて収録されているほか、
呼びかけがどのような判断で行われていたかを
うかがわせるものとなっています。

NHKが入手した音声は、津波で職員や住民、
合わせて41人が亡くなった南三陸町の
防災対策庁舎から発信された、
およそ30分の防災無線の放送をすべて収録したものです。

地震発生の直後から放送が始まり、サイレンに続いて、
危機管理課の職員だった遠藤未希さんが
「震度6弱の地震を観測しました。
 津波が予想されますので、高台へ避難してください」
と呼びかけていました。

この時点で、大津波警報は出ていませんでしたが、
町は独自の判断で津波への警戒を呼びかけていました。

周囲にいた人の声も収録されていて、大津波警報が出たあと、
津波の高さについて、
「最大6メートルを入れて」
と指示され、未希さんは、6メートルという情報と
「急いで」とか、
「直ちに」
という言葉を呼びかけに加えていました。

また周囲の
「潮が引いている」
という言葉に反応して
「ただ今、海面に変化が見られます」
と臨機応変に対応していたことも分かります。

津波を目撃していたとみられる職員の緊迫した声のあと、
未希さんの呼びかけは
「津波が襲来しています」
という表現に変わっていましたが、高さについては
「最大で6メートル」
という表現が続き、最後の4回だけ
「10メートル」
に変わっていました。

当時、未希さんたちと一緒に放送を出していた佐藤智係長は
「水門の高さが5.5メートルあり、
 防災対策庁舎の高さも12メートルあったので、
 6メートルならば庁舎を越えるような津波は来ないと思っていた」
と話しています。

音声は、なおも放送を続けようとする
未希さんの声を遮るように、
次のような言葉で終わっていました>>>

スポンサーリンク

↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓

へ上がっぺ、未希ちゃん、上がっぺ」

こんな周囲の制止の言葉で終わっていました。

呼びかけは62回で、
このうち18回は課長補佐の三浦毅さんが行っていました。

男性の声でも呼びかけて、
より緊張感をもって受け止めてもらおうとしたのです。

その三浦さんは、今も行方が分かっていません。

この音声を初めて聞いた未希さんの母親の遠藤美恵子さんは
「この放送を聞いて、本当に頑張ったんだと分かりました。
 親として子供を守ってあげられなかったけど、
 私たちが未希に守られて、
 本当にご苦労さまというしかないです」
と話していました。

前の年2010年7月に、未希さんは、ある男性との婚姻届けを出しています。
そして、この年2011年の9月10日には結婚式を挙げる予定でした。

また、母親の美恵子さんは、
喪失感と絶望感を何れかに逸らす意図もあり、
しばらく後に、日記をつづりはじめました。

ある日の日記にはこうあります。

お母さんは 少しずつ笑って過ごせるようになっています。
それも なんかさみしい。
少しずつ あなたの顔がぼやけて見えます。

未希さんが好きだった、海の景色が見える自宅裏には高台があります。

そこに、1日2組だけが宿泊できる小さな宿が建てられました。

娘の死を、決してむだにしないための美恵子さんの選択でした。

この民宿のことも、美恵子さんの日記にはこう記されています。

民泊の名前は まさに 「未希の家」です。
「何ていう事を」と思うかもしれないけど、
お父さんと いつもみんな「共に生きる」という事です。

未希さんの母親の美恵子さんが見つけた、人生の新たな目標。

それは再び、娘と共に歩む道でもありました。

お母さん 少しずつ 自分自身のためにも成長していけるよう頑張りますね。そばで見ていてね。

日記にはそんな記述もあります。

スポンサーリンク