お前の名前は痰助(たんすけ)に決めた

b992

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11年前の2月、何も無い湖の駐車場でガリガリの猫が寄ってきた。
よろよろと俺たちの前に来るとペタンと腹をつけて座った。

動物に無関心だった俺は「キタねー猫だな」
と思っただけで、他に何とも思わなかった。

猫を飼っていた彼女がその猫を撫でながら言った。
「こんな所にいたら病気で死んじゃうね」
単細胞の若者だった俺は頭にきた。

「何、こいつ病気なのか?
 死ぬと分かってて放っておくのは殺すのと一緒だろ!
 何言ってんだオメー」

ドライブは中止。そのまま膝の上に乗っけて車を運転して帰った。

顔は目ヤニだらけ、鼻水で鼻はガビガビ、
尻から出てきた回虫が俺のズボンの上を這っていた。

くしゃみで車のドアはベトベト、コホコホ咳をして、痰でゴロゴロいっていた。

「どうするの、その子?」
「治るまで俺が飼う」
「じゃあ名前は?」
「うーん…痰が詰まってるから…痰助」
「変な名前」
「うるせー」

獣医に寄って虫下しと風邪の薬などを貰って帰った。

風呂場で綺麗に洗って、とりあえずシシャモとちくわを食べさせた。
腹がカチカチになるまでがっついていた。

ペットは駄目なマンションだし、
治って暖かくなったら逃がすつもりだったが、
1週間で方針を変えた。

あっという間にまるまると太り、
誰が見ても目を細めるような人懐っこい顔になり、
夕方になると俺の帰りを玄関に座って待つようになった。

もともと飼い猫だったようで、トイレは最初からできた。

車に乗るのが好きな変な猫だった。

人間も同じだろうが、食べ物で苦労したせいか、すごい食いしん坊だった。
冷蔵庫が開く度にダッシュで駆けつけ、何もくれないと分かると、
わざと歩くのに邪魔な所に寝そべって俺に抗議した。

かつては歴戦のツワモノだったようで、耳は食いちぎられて欠け、
しっぽは折れたまま曲がり、ケガの跡のハゲがあちこちにあった。

当時は分からなかったが、そうとう歳をとった猫だった。
歯が何本も抜けていて、筋肉も細かった。
一日中じっとしていた。
食べる時以外に走ることはなかった。

ちょうど一年後、俺は痰助の誕生日を勝手に決め、
仕事帰りに誕生日プレゼントとして
一個千円のカニ缶を買って帰った。

普段は脇目も振らずに食べる痰助が、
その日は一口食べるごとに俺の顔をじっと見ていた。
「なんだよ、俺でも食った事ないんだぞ。
 早く食わないと俺が食っちまうぞ」

いつもどおり缶の底がピカピカに光るまで食べたのだが、
無理をして食べているようにも見えた。

誕生日の二,三日後、食欲が無く、朝からぐったりしているので、
いつもの獣医に連れて行った。

検査の結果、腎臓がかなり悪いことが分かり、即日入院となった。

先生が抱き上げようとすると、必死に俺の肩に登ろうとした。

先生に抱かれて診察室の奥の部屋に行くとき、
ガラスのドア越しに見えなくなるまで俺をじっと見続けていた。

あのときの哀しい眼差しを、俺は生涯忘れることはないだろう。

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のちらつく朝、痩せた体に一輪の花を乗せて、
痰助は大好きな車で俺と一緒にうちに帰った。

大工の弟に頼んで作った小さな棺に、
俺の写真と大好物だったちくわを入れて、
痰助に出会った湖の桜の木の下に埋めた。

今となれば分かる。

湖からの帰り道、あれは痰が詰まっていたのではなく、嬉しかったんだと。

今日も壁に掛かったコロコロのたんすけが、
行儀良く座って俺を見ている。

お前がいなくなって十年経った今でも寂しいけど、
それは俺の勝手だから我慢するよ。

変な名前付けて悪かったな、たんすけ。

でも今うちにいるお前の後輩も変な名前だから、勘弁しろよ。

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