妻を亡くした闘将の知られざる一場面

b998
の文章は、東京新聞の販売関係の幹部社員研修会で、
ひとりの幹部社員のお話しをまとめたものです。

東京新聞とは、中日新聞東京本社が発行する日刊一般紙のことです。

その幹部社員は、Kさんという方です。

1999年秋、中日ドラゴンズが11年ぶりに優勝を決めた数日後のこと。

北関東を担当するKさんは会合に出て遅くなり、タクシーに乗りました。

運転手さんが『ジャイアンツが優勝できなくて残念でしたね』
と話しかけてきました。

北関東はジャイアンツ一色の土地柄であり、
Kさんも当然ジャイアンツ・ファンだろうと思われたのでしょう。

Kさんが
『いや、私はドラゴンズの関連会社に勤めている者だ』と言うと、
運転手さんが言いました。

『そうですか、ドラゴンズの関係者でしたか。
 実は、私も2年前(1997年)からドラゴンズの熱烈なファンなんです。
 特に星野監督さんの男気が好きなんですよ』
さらに続けて運転手さんが言いました。
『お客さん、もしお耳障りでなかったら、聞いていただけませんか』

運転手さんはこう言って、話し出しました。

↓以下はタクシーの運転手さんの話です↓

私は生まれた時からジャイアンツの洗礼を受けて育った者です。
両親も弟も親戚もみんな、野球はジャイアンツでした。

私の弟は名古屋で葬儀社の運転手をしておりまして、
偶然星野監督の奥さんの葬儀の霊柩車の運転をさせていただきました。

出棺の際、監督は大勢の弔問客に涙をこらえながら
『妻はナゴヤドームでお父さんの胴上げを見たいね。
 それまで生きていたい、と言い続けていました』
と挨拶しました。

いよいよ火葬場へ出発の段になって、
星野さんは後続の運転手に何ごとか話し、
霊柩車には自分一人にしてくれと言って、出発しました。

星野さんは弟に『運転手さん、ナゴヤドームヘ行って下さい』。
前例のないことに、弟は『ナゴヤドームですか?』と驚いて聞き返しました。

そして車はナゴヤドームへと向かいます>>>

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柩車はそぼ降る小雨の中、ドームを一周し、
雨よけのひさしのある所に止めました。

星野監督は
『運転手さん、家内の棺を出したいので、
 手伝って下さい。全部下ろさなくてもいいですから、
 下ろせる所まで下ろしたいのです』
弟は何事が起きるかと恐れながらも、それに従いました。

棺は頭の方を車にかけ、斜めに下ろされました。

すると監督は『運転手さん、5分間だけ泣かせて下さい』と言って、
棺にすがりついて号泣しました。
『なぜ死んだんだ。ドームでパパの胴上げを見たいね、
 それまで頑張ると約束したではないか。母さん、なぜ死んだんだ!』
弟は感動に打ち震えながら、監督に負けないくらい泣いたとのことです。

監督は『必ず優勝して見せる。母さん、見守っててくれ』と言って、
火葬場へ向かいました。

弟はその年の暮れ、正月前に休暇で帰った際、
親戚が集まった席でこの出来事を涙ながらに語りました。

弟はこの日のことは一生忘れないと言いましたが、
私たちだって星野ドラゴンズを決して忘れません。

↑ここまで運転手さんのお話し↑

この話を聞いたKさんも、それを話す運転手さんも泣きました。

『お客さん、この話は初めて人に話すことなんです。誰かに伝えたいと、
 いつも思っていました。
 今日、やっと弟の感動をお客さんに話すことが出来ました…』

Kさんはタクシーの運転手さんの話を受けて、
その会合(中日新聞・幹部社員研修会)で『男・星野』を熱く語ったそうです。

会合の出席者は涙にうるんだ瞳に、星野監督のドームでの情景を思い描き、
改めて優勝を誓い、そして奥様の死の2年後にそれを実現させた闘将星野と、
監督を男にしたドラゴンズ選手たちの執念に感激を覚えました。

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