スティーブ・ジョブス 伝説の卒業式スピーチ

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ップル・コンピュータの創業者の一人。
2011年に、56歳の若さで亡くなったスティーブ・ジョブズのお話しです。

彼が、2005年にスタンフォード大学の卒業生を前に行ったスピーチは、
「伝説の」という冠がつくほどの素晴らしいメッセージでした。

またその文章は、事前に緻密な推敲が為されており、
適切で高品位な英文で構成されているため、
日本の英語学習者へのテキストとして推奨されることも多いようです。

その話しの一部で、Macが生まれたきっかけともなるエピソードです。

「大学の卒業式に出席するのは、これが初めてです。
なぜなら、私は大学を中退したからです」

それがスピーチの出だしでした。

学生たちの笑いを誘います。
続いて生い立ちの話です。

スティーブ・ジョブズが生まれたとき、
母親はまだ若く未婚の学生であったため、
彼は養子縁組に出されることになりました。

母親は養子に出す条件として、
彼に大学を卒業させることを強く望んでいました。

しかし、彼を引き取ることになったのは、
大学を出ていない労働者階級の夫婦でした。

母親は不安になり、一度は養子縁組のサインを断ります。

しかし、夫婦は彼を大学行かせることを強く約束したため、
最後には、母親もこの縁組を認めることにしました。

17年後、彼は約束通り大学に進学します。

しかし、彼の育ての親にとって、大学の学費は膨大なもので、
こつこつ貯めていたお金はすべて消えてしまいました。

それなのに、彼は大学に半年も通うと、
そこで学ぶことに何の価値も見出せなくなってしまいます。

自分のやりたいことも分からず、
そのために大学が何の役に立つのかも分からない。

しかも、それで両親の貯蓄はすべてなくなってしまったのです。

「私は親が必死で稼いだ金を垂れ流すだけだったのです」
と語っています。

ここでジョブズは、大学を中退することを決断しました。

スピーチの中でこう言っています。

「その時はとても怖かったのですが、
今考えれば最良の選択でした」

なぜ、大学を中退するのが最良の選択だったのか、
その後のジョブズの行動を知ると、
ああさすがに事を為す人は違うなと思います。

最良の選択だった理由はこうです>>>

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学の中退手続きをとったジョブズは、
しかしながら、すぐには大学へ通うのをやめませんでした。

中退を決めたことで、興味のない必修科目をとる必要がなくなった彼は、
自分が興味をひく科目に潜り込むことができたのです。

その間、18カ月の間、ジョブズは本当の意味で、
勉強にまい進できたようです。

興味あること、好きなことをやる限り、多少の辛いことは我慢できます。

ジョブズには寮がなかったので、
友達の部屋に居候を決めて、その床で寝る生活でした。

空のコーラ瓶をお店に返して5セントもらい、
それを食費の足しにしたりしました。

日曜日にはヒンズー教会の夕食を食べるために、
11キロも歩いたりしました。

「最高の食事でした」
とジョブズは語っています。

18カ月の間、この大学で彼が興味を持ったものは、
後に非常に価値あるものになりました。

ひとつの例が「カリグラフィ(英文書体)」というものです。

当時のこの大学には、国内最高のカリグラフィの授業がありました。

彼はここで、素晴らしい書体を作り上げるための技術を身につけます。

そして、その10年後、彼の経験により得た技術は、
Macのフォント技術に取り込まれ、
コンピュータの世界を大きく進歩させるに至ったのです。

「大学に失望し、失意にある時、中退を決意しなければ、
またキャンパス内でカリグラフィの授業に巡り会っていなければ、
Macの中心技術は世に出なかっただろうし、
あるいはMacそのものが世に出る可能性も極めて低かった」

ジョブズはそのように語り、
今やってることがいつか価値あるものへと繋がる、
そのために、辛くとも今やってることを信じようと学生に訴えたのでした。

この時のジョブズのスピーチは、いまや伝説とも呼ばれています。

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