入院中、上司からゴッツイお見舞いをもらいました

b151
は僕はクサっていた。

思わぬ病気で長期入院となり、
最前線で活躍中のプロジェクトからはずされたのだ。

目の前が真っ暗な状況だった。

入社以来、僕は着々と出世コースを歩んでいたように思う。

上司や得意先からの期待に答えることは、
僕の仕事のやりがいと一致していた。

頑張れば頑張るほど、結果が伴い、
それにより、周囲が喜んでくれるのが嬉しかった。

しかし、僕は思い知らされた。

どんなに頑張って働いても、
しょせん僕は、会社の歯車に過ぎなかったのだ。

自分がいなければ、会社はどんなに困ることだろう、
一刻も早く仕事に復帰しなければ、
多くの人の仕事が止まってしまう。

そう思っていた。

そんな僕の思いは錯覚に過ぎないことが、
よく思い知らされた。

心配で僕は、たびたび病院から会社に電話をした。

そのたびに上司から叱られた。

「バカ者!今は治療に専念しろ。
 のこのこ現場に電話してくる奴があるか」

あまり頻繁な電話に、
さすがに上司の言葉はキツくなってきた。

「おまえは、会社ってものをなめてはいかん。
 一人が欠けてダメになるようなら、
 そんなもの既に会社じゃない。
 おまえの電話は、残った者に対する侮辱と同じことだ」

上司の言う通りだ。

僕なんか居なくても、居るのと同じように、
会社は変わらず動いているし、
だからこそ「組織」なんだと。

頭ではよく分かっているつもりだが、
こと自分の感情はどうしようもなく処理し難かった。

ああ、これが「クサる」ということかと分かった。

本日、検査のため病室不在のとき、
その上司がお見舞いに来た模様。

「お見舞い」を看護師さんから渡された。

そのお見舞いには、びっくり仰天だった。

何と1億円だ!(笑)

こんな風に折込をつければ、1万円が1億円になるぞと
説明書きが添えてあった。

電話での上司の言葉が、胸にわだかまっていた僕だが、
思わず、クスッと微笑んでしまった。

添えられた手紙に、ついつい僕は引き込まれてしまった>>>

スポンサーリンク

↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓

上司からの手紙にはこうあった。

○○(僕の名前)君、

は辛抱の時だ。

そういう時が人生にはある、ということを学ぶ時なんだ。

君のクサりたくなる気持はよく分かる。

俺も、同じ経験があるからだ。

入院中、俺も会社のことが気になって気になって、
今にも病院を抜け出したくて、しようがなかったものだ。

だけど、病人を会社が受け入れてくれるはずもない。

多忙な人間が、急に時間を持て余す入院というものは、
人の気持を萎えさせるには十分な環境かもしれない。

俺も、しょせん歯車かと思った。

しかし、入院は人の気持を萎えさせるという一面、
スイッチを切り替えれば、自分の視野を広げてくれる一面もある。

強いと思ってた自分が、案外弱いものだと気づかされたり、
これまで気づかなかった周囲の気配りに気づかされたり、
もっと自分より辛い人たちへの思いやりが持てるようになったり…。

…つまり人としての「優しさ」に目覚める時間を
もたらしてくれることもある。

俺の場合はそうだったから。

退院間近になり、俺は思った。

確かにサラリーマンは、組織の歯車かもしれない。

でも同じ歯車なら、
くっきり山型の輪郭を残す歯車になってやろうと。

疲れて摩耗し、すぐに取り替えの効く歯車でなく、
力強い歯車になろうと。

土台、歯車というものは、
お隣の力をまたお隣につなぐ、大切な動力だ。

いま君が抜けたプロジェクトも、
君の力を必要としているのは確かだ。

だからこそ、君がしっかり健康を回復し、
その上で職務に復帰してくれることを、
俺たちは待っているわけだ。

最後に、お見舞いの「一億円」であるが、
これは実はお見舞いではない。

おすそ分けだと思ってもらいたい。

この一億円は、密かに自分の財布に忍ばせていたものだ。

おかげ様で、俺は「金運」にも「健康運」にも、
それに「家庭運」にも恵まれている(笑)。

・・・ほんとうの話だ。

さらに、それをおすそ分けすれば、
「運」というものは、お友達を連れて帰ってくるそうだ。

情けは人のためならず、ということだから、
お見舞いではなく、おすそ分け。

おすそ分けだから気にするな。

それでは、早く治せ。

またな。

スポンサーリンク