難病の子供の夢を叶えること、それが私たちの夢です

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イク・ア・ウィッシュ」という団体をご存じでしょうか?

難病に苦しむ子供達の夢を実現するボランティア団体です。

この活動が始まったのはアメリカで、1980年のことです。

日本では1992年に発足し、現在まで200人以上の子供たちの夢を叶えました。

メイク・ア・ウィッシュ日本事務所が行った活動の一つ
「太郎くんは背番号1 」というお話です。

太郎君は、もうすぐ一年生というときに、
神経芽細胞腫という病気で入院しました。  

太郎君は病院内にある院内学級「がんばるーむ」に
毎朝誰よりも早く出かけていました。

気分の悪い日だって腕に針を刺したまま、
注射のビンをさげたスタンドを押していきます。  

ぐあいの悪いときだって、酸素吸入の機械を引っぱっていきます。

太郎君のお母さんは、太郎君になにかワクワクすることをさせてあげたい、
と考えていました。  

お母さんが「メイク・ア・ウィッシュ」に連絡すると、
おばさんたちが太郎くんの病室にやってきました。

「太郎くんの夢は、なーに?、太郎君の夢が叶うお手伝いをするから教えて」  

太郎くんはずっと前からこっそり思っていたことを言ってみたのです。

太郎くんはダイエーホークスの秋山選手のファンでした。  

「ぼくねーぼく、ダイエーの選手と野球がしたい」

お母さんは予想もしていなかった言葉にビックリ。

だって、病気の太郎くんは、みんなのように運動ができません。

太郎くんの話を聞いたメイク・ア・ウィッシュのおばさんたちは、
すぐにダイエーホークスに連絡しました。  

「ゲーム開始の始球式で太郎くんに投げてもらいましょう。
 その前に秋山選手とキャッチボールをするのはどうでしょう」

話は決まりました。

始球式まで1ヵ月ちょっと。

病院から許可が出て、家に帰れたときは、
お父さんとキャッチボールの練習をしました。

でも、足が痛い。

病気がくやしくて涙が出そうになる。

ちょっぴり不安になってきました。

でも院内学級「がんばるーむ」の仲間も励ましてくれました。

始球式の日が来ました。

車でドーム球場のそばのシーホークホテルに向います。

ホテルの部屋についたら大きなプレゼントが太郎くんを待っていました。

ダイエーホークスのユニホームです。

背番号は1番。

王監督のサイン入りのバットを貰いました。

城島選手のサイン入りのボールも貰いました。

でも、始球式までの1時間、太郎くんはぐったりしていました>>>

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間ですよ」

係りの人に案内されて、太郎君はマウンドに出ました。

下から見上げるドーム球場はとてつもなく大きいのです。

太郎くんと秋山選手のキャッチボールが始まりました。

足の痛みなんかウソみたいに消えました。

秋山選手とツーショットの記念写真も撮りました。

「ピッチャー富永太郎くん、背番号1」

場内アナウンスが、太郎くんの名前を高らかに告げました。

「がんばれよ」秋山選手の声がします。

「がんばれよ」「がんばれよ」

次々にダイエーの選手が声をかけてくれます。

まるで太郎くんがチームの一員になったみたいに。

マウンドに立って、キャッチャー城島選手のミットをじっと見つめました。

大きく振りかぶって投げました。

まっすぐ伸びたボールをキャッチャーの城島選手が拾いました。

試合開始のアナウンスと、
ワーという大きな歓声がマウンドを下りる太郎くんの背中で聞こえました。

やったぞ。

体の力がいっぺんに抜けました。

夢が叶ったのです。

夢をみごとに叶えた太郎くんの姿はテレビで放映され、インタビューも受けました。

参考:「夢はいのち」「太郎くんの背番号1」から
    株式会社 騒人社

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