ある時、養護学校の女先生が、卒業予定の二人の女生徒の就職のために、
駆けずり回っていました。
ある会社に訪問し、採用のためのお願いを窓口役員の方に直談判していました。
「大きな会社で障害者雇用の枠を設けているところもあると聞いていますが、
ぜひこちらにお願いしたいのです」
この会社の窓口は大山さんという人でした。
ちなみに大山さんは、後日この会社の社長になりますが、
このときの申し出には、頭を抱えて悩みました。
その子たちを雇うのであれば、その一生を幸せにしてあげないといけない。
しかし果たして今のこの会社に、それだけのことができるかどうか・・・。
そう考えると自信がなかったのです。
いったんは、大山さんはお断りします。
しかし、その先生はあきらめず、またやって来ます。
また断ります。
またやって来ます。
それでも断ります。
三回目の訪問のとき、大山さんを悩ませ苦しませていることに、
その先生も耐えられなくなったのでしょう、ついにあきらめたそうです。
しかしそのとき「せめてお願いを一つだけ」ということで、
こんな申し出をしたそうです。
「大山さん、もう採用してくれとはお願いしません。
でも、就職が無理なら、せめてあの子たちに
働く体験だけでもさせてくれませんか?
そうでないとこの子たちは、働く喜び、
働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。
私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです」
頭を地面にこすりつけるようにお願いしている先生の姿に、
大山さんは心を打たれました。
「一週間だけ」ということで、障害をもつ二人の少女に
就業体験をさせてあげることになったのです。
「私たちが面倒をみますから」
就業体験の話が決まると、喜んだのは子どもたちだけではありません。
先生方はもちろん、ご父兄たちまでたいそう喜んだそうです。
会社は午前8時から午後5時まで。
しかし、その子たちは雨の降る日も風の強い日も、
毎日朝の7時に玄関に来ていたそうです。
お父さん、お母さん、さらには心配して先生まで
一緒に送ってきたといいます。
親御さんたちは夕方の3時くらいになると
「倒れていないか」「何か迷惑をかけていないか」と、
遠くから見守っていたそうです。
そうして一週間が過ぎ、就業体験が終わろうとしている前日のことです。
「お話があります」と、十数人の社員全員が大山さんを取り囲みました。
何ごとなのか?
大山さんは社員の表情のただならぬ気配から「何か」を感じとりました>>>
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社員たちは、二人の少女のために嘆願をしにきたのです。
「あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。
どうか、大山さん、来年の4月1日から、
あの子たちを正規の社員として採用してあげてください。
あの二人の少女を、これっきりにするのではなくて、正社員として採用してください。
もし、あの子たちにできないことがあるなら、私たちがみんなでカバーします。
だから、どうか採用してあげてください」
これが私たちみんなのお願い、つまり、総意だと言います。
社員みんなの心を動かすほど、その子たちは朝から終業時間まで、
何しろ一生懸命働いていたのです。
仕事は簡単なラベル貼りでしたが、10時の休み時間、お昼休み、
3時の休み時間にも、仕事に没頭して、手を休めようとしません。
毎日背中を叩いて、「もう、お昼休みだよ」 「もう今日は終わりだよ」
と言われるまで一心不乱だったそうです。
ほんとうに幸せそうな顔をして、一生懸命仕事をしていたそうです。
社員みんなの心に応えて、大山さんは少女たちを
正社員として採用することにしました。
一人だけ採用というのはかわいそうだし、
何よりも職場で一人ぼっちになってしまいやすいのではないか、
二人ならお互い助け合えるだろうということで、
とりあえず二人に働いてもらうことになりました。
それ以来、この会社では、障がい者の方を
少しずつ採用するようになっていきました。
この会社は、神奈川県川崎市にある日本理化学工業という会社です。
このお話しは、今から63年ほど前、1959年のことでした。
今では、従業員約50名のうち、7割ほどが知的障害をもった方々で占められています。
「企業価値」なんて語句がありますが、
こんな会社こそ価値ある会社ではないでしょうか?
出典元:日本でいちばん大切にしたい会社 坂本光司