母の面倒をみているつもりが、守られていた

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この記事は、現在70歳代になられる女性が、
20年ほど前に認知症のお母様を自宅介護し、
心身疲れ果て、ご本人が入院された、その間に起きた不思議なお話しです。

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くなる前、3年の間、母は寝たきりで、全く身動きが出来ない状態でした。

入れ歯洗いから、食事の世話、下の世話はもちろんのこと、

床ずれの始末など、多くの一日の作業は朝から晩まで続き、

私の身体は、一日中、きりきり舞いをしていました。

「あなたどなたか存じませんが、ご苦労さまです。よくして下さって…」

何度もそんな言葉を聞かされ、私の悲しみは怒りに変わっていました。

《中略》

そんな年月は、私の気づかぬうちに、私をとうとう病魔にとりつかせてしまいました。

すぐに入院を言い渡されました。

看護師長さんは、私の様子を見て、

「こんなに身体を悪くして、奥さんも大変でしたね。

 しっかり安心して養生をなさってください」と労ってくれました。

その言葉を聞いて、嬉しくなりました。

母を他人様に預けることの後ろめたさがあったからです。

入院して二日間、私は昼夜を問わず、食事をとるのも忘れて眠り続けました。

二日目の夜中、入院中の母の訃報が舞い込んできたのです。

あっという間に、83歳の生涯を閉じてしまいました。

その時、私は一歩も歩けないほどの全身の痛みを抱えていたのです。

葬儀は夫と娘と嫁が無事済ませてくれました。

その後、しばらく経ったある夜のこと、母が夢に現れたのです>>>

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のそのときの状況は、白血球が一万三千、膠原病。痛みはリウマチ、

その上、気管支炎もありました。

夢に出てきた母は、私の痛い箇所に同じように湿布を貼り、

左足を引きずりながら、全く、私と同じ格好をして現われ、

ゆっくりゆっくり北へ北へと歩いてゆくのです。

私が声をかけても、何の応答もなく、そのまま北の方向へと消えて行きました。

夢は、そこで消えたのでした。

私は不思議な気持のまま、朝を迎えました。

何気なく手首を動かしました。

「あっ、痛くないっ」

思わず、恐る恐る立ち上がり、一歩、足を出します。

痛みがないのです。

左、右と足を運びます。

その時の私の驚きは、どのように言ったらいいのでしょうか。

そんなはずがない。

しかし、歩けるのです。

私は夢中で歩いてみました。走ってみました。

もと通りです。

私は元気になれる。私は死なない。

夢に現れた母の姿は、まさしく昨日までの私の姿でした。

その私の病を、すっかり母は持って、あの世へ行ってくれたのです。

「ありがとう、ありがとう」

私はいっぱいいっぱい、母に礼を言いました。

こんなことってあるのでしょうか。

嘘のような出来事でした。

夢の話は、いつまでも、私の心に残っています。

親というものは、肉体を失くしても、自分の子のことを心配しているのでしょうか。

一人っ子の私は、母の愛情一筋で大きくなったと言っても過言ではありません。

母の大きな深い、愛・心・魂というものを、ひしひしと感じるとともに、

不思議な思いをしています。

参考本:心に残るとっておきの話、第三集 (潮文社編集部)
Kさんのお話し『母の夢』を下敷きにしています。

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