2015年10月5日、北里大で午後8時半から大村先生は記者会見で述べました。
「(受賞の知らせに)驚いている。
微生物の力を借りているだけで、私が偉いことをしたのではない。
若い人が仕事を続けて、世の中の役に立つ仕事が続くよう期待する」
大村先生の受賞理由は「寄生虫によって起こる感染症の治療法の発見」
というものでした。
大村先生の具体的成果のひとつは、
イベルメクチンという薬の開発に先鞭をつけたことです。
イベルメクチンは現在では、寄生虫やダニによる感染症の薬として広く使われています。
この薬が広い範囲で利用できるようになったのには、理由があります。
大村先生が、この薬に関する特許権など独占的な権利を放棄したことによるのです。
というのも、大村先生がアフリカや中南米の現地で、
感染症による失明で苦しむ人々を目にし、
「これはいかん!」
と思ったのが出発点でした。
一刻も早く、このような人々を救うには、
企業や個人の独占権を介在させてる場合じゃない。
特許権の公開によって、誰もが早く救われてほしい、
その一念だったそうです。
それにより、現在では世界保健機関(WHO)を通じ、
アフリカや中南米などで、延べ10億人以上に無償提供され、
多くの人々を失明の危機から救ったそうです。
そんな功績から、知る人の中では、今回のノーベル賞受賞は、
ひょっとしたら「平和賞では?」と言う人もいたほどです。
さて、そんな大村先生ですが、
2015年10月7日NHKの「クローズアップ現代」に出演され、
亡くなられた奥様のことや、これまでの経歴のことについても語っておられました。
大村先生は、決して研究畑のエリートコースを歩んだ人ではありません。
成績がとりわけ優秀なわけでもなく、
もっぱら熱心なのはスポーツでした。
地元山梨県の大学へ進学し、卒業後は、
東京の定時制高校の先生に就いたそうです。
当時の生徒さんにしても、まさかあの先生が「ノーベル賞」の受賞者?
と驚いていました。
そんな大村先生にいったい何が起こり、
ノーベル賞受賞の栄誉に輝く「先生」になり得たのでしょうか?
どこかに先生のターニング・ポイントがあったように思えてなりません>>>
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ごく普通の先生であった大村先生、
この人の大きなターニング・ポイントはどこにあったのでしょうか?
「クローズアップ現代」のインタビュー中にヒントがありました。
大村先生が、定時制の先生という職を選んだのは、
昼間、自由な時間が出来ていいな、という程度の動機だったそうです。
ところが、時は昭和33年(1958年)。
金の卵として、東北や九州など全国各地から上京してきた中卒の子供たちは、
まだまだ勉強したい意欲を捨てきれずにいたのです。
そんな子供たちが、大村先生の生徒でした。
まだ年端もいかない少年・少女が昼に働き、夜にも頑張っている。
そんな姿を目の当たりにして、大村先生は、彼ら少年・少女に触発されました。
よし、自分だって、ここで小さくまとまるにはまだ早い。
この子らに負けてたまるか!
そこで大村先生、夜は先生として定時制高校生の指導を行いつつ、
昼間は、東京理科大学の大学院へと進み、
勉強・研究の道を進むようになったのです。
大村先生の人生におけるターニング・ポイントはここにあったに違いありません。
当時の番組の司会者、国谷キャスターが質問しました。
「もし、東京で定時制高校の先生という職を選ばなければ、
地元山梨で先生をやりながら、実家の農業を行っていたのでは、と思いますが、
やはり先生は、東京での定時制高校教師を選ばれたことが、
節目になったのでしょうか?」
それに対する、大村先生の答はふるってました。
「いや、農業に就いたら、農業の何かで日本一を目指したと思います。
農業は科学との関係が深いんです。
農業とは、天気の具合、風、水、その他環境への対応など、
まさしく科学を実行することそのものなんです」
どこにいても、何をやっていても、目指す人は目指すし、
やる人はやる、といったところでしょうか。