その宇宙飛行の感想を語った「地球は青かった」
という言葉は、あまりにも有名です。
しかし、パイロットに選ばれるまでには、
相当ハードな訓練を乗り越え、
ライバルたちに勝利しなければなりませんでした。
宇宙飛行士の候補は、彼も含めて20人いたそうです。
そして、実際に有人宇宙飛行が決まった時、
そのパイロット候補は、ガガーリンと
ゲルマン・チトフの2人に絞られます。
2人の成績は素晴らしく、候補者の決定は難航しましたが、
結局、体重が2キロ少ないという理由で、
ゲルマン・チトフに決まりました。
当時の宇宙船は小さかったので、
パイロットも小柄であることが望ましかったのです。
しかし、打ち上げ直前になって、
この決定は覆されます。
その理由には、いくつかの説があり、
いかにもロシアっぽい「ユーリイ」という名前や、
彼が労働者階級の出身であることなど、
ガガーリンに英雄としての要素が強かった点が挙げられています。
しかし、ただそれだけではない、
決定的に彼を推す決め手がこれでした>>>
スポンサーリンク
↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓
ガガーリンは、訓練の成績は優秀でしたが、
どの科目でも1番をとることはできなかったようです。
しかし、チームを組ませると、いつもリーダーは彼でした。
それは、彼の社交的で温和な性格、
そして、どんなときでも笑顔を絶やさない
ムードメーカーとしての資質からだといいます。
そして、どうしても彼でなければいけない、
と多くのスタッフが口を揃えるポイントはここにありました。
テストの宇宙船に試乗する際、
パイロット候補生の中で、
彼だけが技術者や計画そのものに敬意を払い、
靴を脱いで乗船したのです。
政府の上層部や宇宙船の開発者たちは、
彼のそんな性格に、人類初の宇宙飛行の成功を賭けたのでしょう。