老人ホームへのボランティアで教わったこと

001
たちは、いわゆる「戦争を知らない世代」と言われています。

生まれた時からなんでも身の回りに揃っていて、
何不自由なくここまで過ごすことができました。

どうにも出来ないような天災を除き、
個人的な不運やトラブル、ちょっとした幸せに一喜一憂し、
時には、
「私って駄目な人間だ」
「私には何もないんだ」
なんていうセンチメンタルな気持ちに悩んだこともありますが、
総じて「幸せ」な日々を過ごしすことができたと思っています。

ただ、そんな毎日を送れること、
当たり前のように明日が来るということが、
実は誰かの犠牲の積み重ねの上にあるのだ、
ということも確かなのではないでしょうか。

まだ私が学生だった頃、
学校の課外活動の一環として、老人ホームへの慰問や
ボランティアにお邪魔する機会が多くありました。

小さい頃からおじいちゃん、おばあちゃん子だった私ですが、
老人ホームのあの独特の雰囲気や臭い、
何となく自分たちの過ごす日常とはかけ離れた世界のような印象を受け、
その活動があまり得意とは言えませんでした。

学生の私たちに出来ることと言えば、
施設内のちょっとした掃除や洗濯の手伝い、
そして入居者たちの話し相手になることでした。

掃除や洗濯なんかはいくらでも出来ましたが、
入居者たちを相手に過ごす時間は、
私にとってとても苦痛でした。

何とか会話が成り立つ相手ではあるのですが、
どうしても同じ話の繰り返しだったり、
急に感極まって泣き出してしまわれたりすると、
どうしていいか全く分からずパニックです。

特に困ったのが「戦争」の話をされた時です。

テレビの再現ドラマや、毎年終戦記念日になると組まれる特番で、
何度か見たことがあるので、戦争の悲惨さや恐ろしさ、
そういったことに対しては、私なりに理解しているつもりでした。

しかし、実際に経験した人から当時の話を聞くと、
何だか分からないけれど「違和感」を感じてしまうのです。

このおじいちゃんがそんな勇ましいことを?
と、どうしても結びつかないのです。

今、こうして誰かの手を借りなければ、
身の回りのことができない人たちが、本当に…?と。

きっと心のどこかで私はひとつの「物語」のように
受け取ってしまっていた部分があるのだと、今にして思います。

そんなある時、私たち学生は、
入居者の方々、スタッフの方々に向けて、
歌の発表をする機会を設けてもらいました。

話し相手になるよりは、こちらの方が気が楽だと思い、
その日は随分リラックスして参加することが出来た私。

家に帰ったら、あのテレビ番組を見ることができる、
なんてのんきに考えていました。

私たちが歌ったのは、誰もが口ずさめるような童謡です。

入居者の多くが手拍子をしながら聞いてくれましたが、
ある人が途中から歌を口ずさみながら、
涙を流していることに気が付きました。

周りをよく見ると、そのような人がたくさんいるのです。

またいつものように、何か思い出したのだろう、
…と思っていました。

けれども、その施設からの帰り道で、
同行していた先生からこんな話を聞きました。

泣いている入居者のひとり、
違った意味で泣いている方がいたのだということ。

その違った意味を聞き、
私は心の中で大きく変わるものがあったのです>>>

スポンサーリンク

↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓

くの人が昔を懐かしみ、思い出し、切なくなって泣いている中、
その人だけは私たち学生に対して、
「悔しい」という想いを抱いて泣いていたというのです。

自分の子どもが生きられなかった年月を
生きている私たちに対する悔しさ。

歌を歌うことさえも注意されていたあの頃、
歌は何よりも自分の支えだった。

その大切な歌を、何の気持も込めずに歌う私たちへの怒り。

その方は気が付いていたのです。

私たち学生の多くが「仕方なしにボランティアに来ている」
という事実に。

そして、もしこれからもそんな気持ちなら、
もう二度と来ないでほしいと、何度も何度も、
先生とスタッフの皆さんに掛け合っていたのだそうです。

そのことを聞いて、私は心底恥ずかしい気持ちになりました。

すべて見抜かれていたのです。

二度と来ないで欲しいと拒否までされたのです。

私たち多くの学生が、そのことを聞いて、
とても深く反省しました。

気持ちを入れ替える必要性を、素直に感じたのです。

その後も私たちは慰問を続けましたが、
今までとは違う気持ちでその施設を訪れるようになりました。

私たちに対して、どの方が悔しい思いを抱いたのか、
それは特定することは出来ません。

ですが、誰に対してもそれまでのような、
いい加減な気持ちで接することはなくなりました。

すると、不思議なことに、今まで煩わしいと感じていた
様々なことがとても暖かく感じられるようになったのです。

手を握られれば嬉しいと思い、
泣いている方を見ると、胸がきゅっと痛みました。

それは同情ではなく、心が近づいた証拠なのだと、
先生は私たちに教えてくれました。

この人たちがいたから、今の私たちが生きているんだということ。

感謝や敬意、そしてどんなに歳をとって
行動がのんびりになってしまっても、
尊敬の気持ちをもって接することの大切さは、
一緒に心を寄せてみなければ分からないことなのかもしれません。

出典元URL: https://www.youtube.com/watch?v=6pced0kYmMU

スポンサーリンク