エライ先生が、夫にべた惚れの若い奥さんに学んだこと

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れはある教育機関の先生(女性)のお話しです。
文章中、「私」とあるのは、その先生 Hさんのことです。

わが家の3軒隣に若い30代前半の奥さんが住んでいました。

並んだ塀の内側はそれぞれ植木が成長し、
秋になると落ち葉が道路に飛び交い、毎朝誰かが掃除していました。

3軒隣の若いかわいい奥さんも時々私と一緒になると、
「Hさんの奥様、おはようございます」
「あら、寒くなりましたね」と私。

「ウチの人、今日からコート着て出勤ですの」とニッコリ。

これが毎度、お会いする度に
「ウチの人、今日は私のプレゼントのベルトをしめて出勤ですの」。

一言目は挨拶、二言目はご主人の報告。

私には、彼女のご主人が上着を脱ごうが着ようがどっちでもいい。

でもこんなかわいい奥さんが、こうまで話しているご主人って、
どんなすてきな人だろう、とその度に思っていました。

ある朝、彼女に誘われました。

「Hさんの奥様、私『****(有名な宗教団体の名前)』に通っていますの。
 月に一度経験談を発表するんですけど、今晩ははじめてウチの人の番なんです。
 是非いらしてください」

「今晩9時から? 喜んで参加させていただくわ」

”ウチの人”に会えると私も期待して出席しました。

二人の男性の話が15分ずつ位あり、20人位の男女が座っていました。

最後が”ウチの人”でした。

はじめの10分間で私はイライラしてきました。

どこで誰が何をしたか、さっぱり分からない。

私はそのころ、小学校の教師。
生徒がそんな話し方をしたら、すぐ注意するところです。

周囲をそっと見るとみんないい方ばかり。

目をつぶって柱にもたれておられました。

私もその姿勢になり、奥さんを見ると、
彼女はご主人の前で、一言一言うなずいて聴いていました。

あっ、これはすぐには終わらない、と私も居眠り体勢。

50分過ぎて、「短いですがこれで終わります」。

皆ザワザワと座り直し、お二人は私の横の席に戻ってこられました。

驚いたのは奥さんの言葉です。
奥さんのそんな反応は想像もしていませんでした>>>

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父さん、今晩のお話、とってもすばらしかったわ」

奥さんは目を輝かせてそう言います。ウソ偽りのない澄んだ眼差しです。

「うん」とご主人の笑顔。

それを見た時、私は体がふるえました。

なんというエライ奥さんだろう。

私だったら、主人がこんな話をしたら、
夫婦ではない顔をして、サッサと先に帰ったろうに。

夫婦とは夫が才能があるから、
または仕事ができるから尊敬するんじゃない。

夫そのものをすべて愛する、それが妻なんだ! 

私はなんて悪い妻だったろう。

かわいげもなく、口には出さなくても、
主人の採点をしていた自分だった、とぞっとしました。

その日から私は変わりました。
主人の行動を全部受け入れようと。

それが結局は二人の子供たちにもいい影響を与えました。

ところで私も教育者のはしくれ、今日までに何年もかかって、
愛とは何か、孔子の「仁」から、プラトン、釈迦、
結局はキリストの「神の愛」「汝の敵を愛せよ」に辿りつきましたが、
愛の表現語として、日本語の「惚れ込む」があったことに気付きました。

作家・三浦綾子さんが、
「私は夫、光世さんに惚れ込みました!」
と講演会で言われたことがあります。

彼女が結核で北海道の病院にいた時、クリスチャン青年の三浦氏がお見舞いに。

何回目かに「治ったら結婚したい」と言われ、
「治らなかったら?」「それなら誰とも結婚しない」。

その言葉に彼女は感激しました。

幸い新薬も開発されて退院し、何の迷いもなくお二人は結婚。
お互いに「惚れ込む」間柄になったそうです。

夫婦は欠陥をさがし合ってはいけない。

「愛(ラブ)」という言葉は世界共通ですが、
「惚れ込む」は日本語にしかない。

真の家庭は惚れ込む夫婦から始まるのではないか、
そう思うのです。

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