先生、本気だったのか、負けてくれたのか?

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学三年生。体重は20キロ。

私の胸にはあばら骨がくっきり浮かんでいた。

ドッヂボールの時間は、
ボールの当たるのが怖くて逃げ回るだけで、
相手のボールを正面で捕れなかった。

そんなひ弱で臆病な私が四年生になると、
いきなり「学級委員長」に推薦された。

町外から転任してきた、三十歳手前の担任、M先生の
「勉強が出来るより、真面目な人がいい」
という言葉が影響していたのは間違いない。

私は確かに「真面目」だが、
クラス45人をまとめられる性格ではないことは、
私自身が一番知っていた。

それから、私の苦しみが始まった。

M先生から、全校集会の際に列がなっていないと注意されたり、
提出物を誰かが忘れると、
「揃わないのは学級委員長がリードしないから」
とみんなの前で言われたりした。

そのうち、みんなから
「ひょろひょろの学級委員長は駄目だなあ」
とあけすけに言われるようになった。

私は何も言い返せず「学級委員長」という言葉が
日に日に重くなってきた。

学校がつまらなくなり、
次第にM先生に対しての負の感情も生まれてきた。

ある夏の日の休み時間、M先生が校庭へ来て、
私たちと相撲を取ると言い出した。

実は私は相撲が大好きだった。

友だちと上手く遊べないので、家に帰ると、
丸めた布団を相手に戦い、
「上手投げ」や「うっちゃり」などをしていたのである。

M先生はさすがに強く、友だちが次々と、
短時間で押し出された。

「次はYだ。来い、やせっぽ」
とM先生が私を指名してきた。

「こんな先生に負けてたまるか」
という気持ちが湧いてきた。

M先生との相撲は今でもほとんど覚えている。

私は両手をついた後すぐに、
頭をM先生のお腹へぶつけていった。

そしてM先生のベルトを両手でつかみ「もろ差し」になった。

もう「がぶり寄り」しかないと思い、
腰を低くしてM先生を全力で押した。

M先生は「ウォ、ウォ」と声をあげながら
私を持ち上げようとするが、
私は、そのたびに「外掛け」で防いだ。

「Y君、頑張れ」の声が大きくなっていった>>>

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先生は土俵を回り続けたが、やっと土俵を割った。

M先生の髪は崩れ、
シャツには私の頭の汗がこびりついていた。

拍手が湧きおこった。

M先生からは、
「先生の完敗だ。Yは強いなあ。前に押したからだなあ」
と言われた。

その言葉が実に嬉しくて、
一躍ヒーローになった気持ちがした。

その後の学校生活は、精神的に解放されたような毎日で、
時間が過ぎるのが早かった。

私の卒業の年、M先生は転勤となった。

離任式のとき、M先生は私の前に止まり、
「Yは相変わらず体は痩せっぽだけど、
 心は痩せっぽじゃないぞ。いっぱい強くなれよ」
と言って、右手を差し出してきた。

先生の手は大きくて厚かった。

時は過ぎ、成人式の夜。

母が「お前は、あの先生のおかげで変わったと思うよ」
と言い出した。

「お前が学級委員長のとき、夕方に先生が私の職場に来て、
『実は、私が怒ってばかりいるせいか、最近のY君は元気がなく、
 おどおどしています。何か自信を持たせたいのですが、
 Y君の興味は何ですか?』って神妙な顔でいきなり聞くから、
『相撲ですよ』と答えたことがある」

さらに、担任でなくなってからも、
私が卒業するまで母の職場をよく訪れ、
私が掲示委員会の委員長になったこと、
友だちの喧嘩の仲裁に入ったこと、
全校生徒の前で話したことなどを伝えに来ていたという。

あのとき、M先生がわざと私に負けたことを知ったのは、
いつ頃だっただろうか。

体は痩せていても、心は太くもって前に押していくこと、
そして自信を持つことの大切さを、体で学ばせていただいた。

人のために役立つ力が、本当の強さであることも。

M先生の気の利いた負け相撲は、
私の人生を左右した大一番そのものである。

出典元:PHP特集「好きなことをして生きていく」
    「人生を変えた大一番」M.Y.さん

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