親切の輪は、ある自衛隊員の言葉から始まった

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う20数年前の話。

観光に足を延ばしたインドのある町で、
その町から日帰りで行けそうな遺跡のある町へ行きたかった。

鉄道チケットが取れないかと、ツーリストインフォーメーションで、
いろいろ聞いていたところ、後ろから声をかけられた。

「日本人か?」

振り返ると、背丈190㎝はあろうかと思われる、
サングラスにワイシャツ、綿パンにオールバックで、
ヒゲまで生やしたインドの偉丈夫。

「○○まで行きたいのか?」

観光地によくいると噂に聞いたヤバい人か…?!
…にしては英語が丁寧で物腰も柔らかい。

「ちょっとこっちについてきなさい」

インフォメーションをちらりと見ると、
係の兄ちゃんが、
「んだんだ、そうすっとええだ」みたいなスマイル。

半信半疑でついて行くと、駅のチケットオフィスへ。

当時まだ外国人用と自国民用で、切符売場は分けてあったのだが、
ずんずんと脇のドアからチケットオフィスの内側へ。

そのインドの偉丈夫は、何やら中年の駅員と話している。

すると駅員がこちらを見て、
「明日の朝7時に出る急行があります。
 帰りは特急で向こうを16時発。
 ざっと6時間は見物が出来るでしょう…。
 ○○ルピー」

予想よりもはるかに安く、予約も入れてないのに、
急行+特急で発券してくれた。

謝意を表すと偉丈夫氏、にこやかに、
「まあ明日、無事に帰ったらにしておくれ」

翌日、目的の遺跡を堪能して戻ると、
インフォメーションの兄ちゃんの横に、
偉丈夫氏が微笑んで待っていた。

あらためて「本当にありがとう」と告げると、
彼ははにかんで、意外な話を聞かせてくれた>>>

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丈夫氏の話だ。

「いや、実は去年カンボジアに行っていてね・・・」

彼は、地元の警察官であり、
インドからカンボジア派遣の文民警察官として活動中に、
にわかに虫垂炎に襲われて苦悶する羽目になったそうだ。

最寄りには日本の自衛隊が駐屯していた。
(PKOにてカンボジアに派遣された自衛隊です)

電話で照会すると、自衛隊員がわざわざ車両で迎えに来てくれた。

自衛隊の軍医による手術は成功。

その後しばらく、自衛隊のところでお世話になっていたらしい。

彼は少し目を潤ませながら、話を続けた。

「日本の自衛隊員は、素晴らしい連中ばかりだった」

伏せっているゆかりもない外国人の自分に、
必ず誰かが付き添ったり、話をしに来てくれた。

嬉しくて、特に親しくなった隊員に、
自分の大切にしていたキーホルダーを贈ったところ、
その隊員はいつもかけていたサングラスを差し出した。

以前、隊員のサングラスを褒めたことがあったからだ。

『お礼にお返しは必要ありません。
 あなたもいつも使っているものでしょうに!』
と彼が言うと、

『お礼の品は受け取れませんが、我々の友情の印に、
 おたがいの愛用品を交換させていただければ嬉しい』
と隊員が答えた。

偉丈夫氏が、他に何かできることはないだろうかと聞いたところ、
その隊員はこう答えたそうだ。

貴方がもし日本人が困っているのに遭遇したら、
 親切にしてあげてください

そんなやりとりがあったそうだ。

偉丈夫氏が続けて言った。

「だから君を見た時に、何かできないかと思ってね…。
 こんなことでは返しきれない友情を、日本の友人は示してくれた。
 …だからお礼など必要はない」

色んな単語を探しながら、お礼を言った私に、
彼は最後にこう言った。

「それじゃあ、日本でインドの人間に会ったら、
 親切にしてやってくれ。
 そしてそいつには、『次に会った日本人にそうしてやってくれ
 と伝えてほしい・・・」

その後、帰国してインドの人とは何人か縁もあったが、
そう伝えることになった人はまだいない。
けれども、この約束を必ず果たすつもりでいる。

参考:2ちゃんねる 感動実話より

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