観光に足を延ばしたインドのある町で、
その町から日帰りで行けそうな遺跡のある町へ行きたかった。
鉄道チケットが取れないかと、ツーリストインフォーメーションで、
いろいろ聞いていたところ、後ろから声をかけられた。
「日本人か?」
振り返ると、背丈190㎝はあろうかと思われる、
サングラスにワイシャツ、綿パンにオールバックで、
ヒゲまで生やしたインドの偉丈夫。
「○○まで行きたいのか?」
観光地によくいると噂に聞いたヤバい人か…?!
…にしては英語が丁寧で物腰も柔らかい。
「ちょっとこっちについてきなさい」
インフォメーションをちらりと見ると、
係の兄ちゃんが、
「んだんだ、そうすっとええだ」みたいなスマイル。
半信半疑でついて行くと、駅のチケットオフィスへ。
当時まだ外国人用と自国民用で、切符売場は分けてあったのだが、
ずんずんと脇のドアからチケットオフィスの内側へ。
そのインドの偉丈夫は、何やら中年の駅員と話している。
すると駅員がこちらを見て、
「明日の朝7時に出る急行があります。
帰りは特急で向こうを16時発。
ざっと6時間は見物が出来るでしょう…。
○○ルピー」
予想よりもはるかに安く、予約も入れてないのに、
急行+特急で発券してくれた。
謝意を表すと偉丈夫氏、にこやかに、
「まあ明日、無事に帰ったらにしておくれ」
翌日、目的の遺跡を堪能して戻ると、
インフォメーションの兄ちゃんの横に、
偉丈夫氏が微笑んで待っていた。
あらためて「本当にありがとう」と告げると、
彼ははにかんで、意外な話を聞かせてくれた>>>
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偉丈夫氏の話だ。
「いや、実は去年カンボジアに行っていてね・・・」
彼は、地元の警察官であり、
インドからカンボジア派遣の文民警察官として活動中に、
にわかに虫垂炎に襲われて苦悶する羽目になったそうだ。
最寄りには日本の自衛隊が駐屯していた。
(PKOにてカンボジアに派遣された自衛隊です)
電話で照会すると、自衛隊員がわざわざ車両で迎えに来てくれた。
自衛隊の軍医による手術は成功。
その後しばらく、自衛隊のところでお世話になっていたらしい。
彼は少し目を潤ませながら、話を続けた。
「日本の自衛隊員は、素晴らしい連中ばかりだった」
伏せっているゆかりもない外国人の自分に、
必ず誰かが付き添ったり、話をしに来てくれた。
嬉しくて、特に親しくなった隊員に、
自分の大切にしていたキーホルダーを贈ったところ、
その隊員はいつもかけていたサングラスを差し出した。
以前、隊員のサングラスを褒めたことがあったからだ。
『お礼にお返しは必要ありません。
あなたもいつも使っているものでしょうに!』
と彼が言うと、
『お礼の品は受け取れませんが、我々の友情の印に、
おたがいの愛用品を交換させていただければ嬉しい』
と隊員が答えた。
偉丈夫氏が、他に何かできることはないだろうかと聞いたところ、
その隊員はこう答えたそうだ。
『貴方がもし日本人が困っているのに遭遇したら、
親切にしてあげてください』
そんなやりとりがあったそうだ。
偉丈夫氏が続けて言った。
「だから君を見た時に、何かできないかと思ってね…。
こんなことでは返しきれない友情を、日本の友人は示してくれた。
…だからお礼など必要はない」
色んな単語を探しながら、お礼を言った私に、
彼は最後にこう言った。
「それじゃあ、日本でインドの人間に会ったら、
親切にしてやってくれ。
そしてそいつには、『次に会った日本人にそうしてやってくれ』
と伝えてほしい・・・」
その後、帰国してインドの人とは何人か縁もあったが、
そう伝えることになった人はまだいない。
けれども、この約束を必ず果たすつもりでいる。
参考:2ちゃんねる 感動実話より