この国の第6代国王は、日本人女性との恋に陥り、
国王の座を捨てて日本で結婚に踏み切ります。
1935年のことです。その国王はタイム―ルという名前です。
タイム―ル国王は、身分を隠して世界旅行をしていました。
そして日本に立ち寄り、神戸で運命的な出会いを果たします。
タイム―ル国王、ダンスホールで踊ったのがきっかけで、
その女性に一目惚れしてしまったのです。
その女性の名前は、大山清子といい、当時19歳でした。
年齢差は倍ほど違う二人でした。
熱烈なタイム―ルさんのアタックに、
次第に、清子さんも惹かれていきます。
やがて日々を重ねるうち、二人は強く愛し合うようになりました。
愛し合う二人は、当然の成り行きとして、結婚を考えるようになりました。
しかし、当時の環境として国際結婚には大きな障害があります。
中東の結婚相手というのも大変珍しく、
清子さんの両親は猛反対しました。
ご両親は、もしも結婚したいなら、ということで
ある無理難題をタイム―ルさんにつきつけました。
「娘と結婚したいならば、あなたの母国ではなく、
日本に住んで下さい」
タイム―ルさんは、熟考しました。
無理はありません。自分は、一国の国王の立場です。
国王という絶対的な身分を選ぶか、
それとも外国のうら若い女性を選ぶかの選択です。
結局、タイム―ルさんは国王の座を捨て、清子さんを選んだのです。
国王の座は、弟のサイード氏に譲りました。
この当時としても、そして現在においても、
とても考えられない人生の選択ではないでしょうか。
タイム―ルさんは、母国オマーンで、国王の座を譲渡する手続きを済ませ、
再び、日本に帰ってきました。
出会ってから1年後の1936年、不可能と思われた大きな壁を乗り越え、
二人は遂に結婚にたどり着いたのです。
やがて、二人の間に一人娘が誕生します。
節子という名前をつけました。
このときに、タイム―ルさん、
この結婚は、正真正銘の本気だったことが証明されます。
娘の誕生を祝い、国王の座を引き継いだ弟のサイード氏が来日しました。
そして、清子さんは知らされたのでした>>>
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妻の清子さん、それに清子さんのご両親とも、それまで知らなかったのです。
サイード国王の来日により、初めてタイム―ルさんが国王だったことを知ったのでした。
裕福な家柄ということだけは感じていたが、まさか国王という立場だったとは。
その身分を伏せて、清子さんとの結婚を決意したタイム―ルさん。
権威とか身分で自分を飾るのではなく、
裸の自分で愛する人と結ばれたかったのです。
しかし、二人の幸せな生活は長くは続きませんでした。
清子さんは、結婚3年目、23歳の若さで病没してしまいます。
嘆き悲しんだタイム―ルさんは、
兵庫県東加古川市に清子さんのお墓を建て、
母国オマーンに帰国します。
娘の節子さんを、やがてオマーンに引き取り、
ブサイナという名前を与え妃の身分で遇しました。
その後、1941年、第二次世界大戦が開戦となり、
オマーンは英国との関係があるため、
日本とオマーンとは敵筋の国家になりました。
そのために、タイム―ルさんもブサイナ妃も、
ずっと日本との交流を断たれることになります。
そして、清子さんの死後39年が経ち、1978年のことです。
ブサイナ妃は、日本を訪れ、お母さんのお墓参りをすることができました。
そのときのブサイナ妃(節子さん)、
人目をはばからず墓前で泣き崩れたそうです。