今から40年ほど前のユーミン・松任谷由実さん、デビュー間もないころのことです。
ラジオの深夜番組「オールナイトニッポン」宛てに、
ある女子高生・Aさんから『私たちの校歌をつくって』
というリクエストがはいりました。
Aさんのリクエストには、ユーミン(当時の荒井由実さん)が応えることになりました。
その高校は、長崎県の五島列島にある奈留高等学校。
多くの卒業生が、島を後にして都会に旅立ちます。
ユーミンは遠くに旅立った友だちにメッセージを送るイメージで歌を作りました。
『瞳を閉じて』という曲が生まれました。
初期のユーミンらしい胸に響く歌詞とメロディーです。
思いがけず、Aさんの願いが叶い、その曲は校内放送でも何度か流されました。
しかし、その後はさして話題になることもなく、校歌にもなりませんでした。
ユーミンから届いた楽譜とテープを自宅の机にしまいこんだまま、
Aさんも卒業と同時に上京しました。
「こんなちっぽけな島から早く飛び出したい、
自由に振舞える都会で暮らしたいとばかり考えていた」そうです。
それから10数年、Aさんは短大を卒業し、就職、そして結婚し主婦になりました。
そんなAさんに、ある日、故郷の同級生から電話が入ります。
その1本の電話がきっかけとなり、
ユーミンの『瞳を閉じて』がこの島で大きな意味を持つことになるのです>>>
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島に残っている同級生からAさん宛てに、こんな電話が入りました。
「あの歌、全国の音楽の教科書に載ることになったぞ。
歌碑ば造って、ユーミンも呼ぼうで」
そこから、島に残る人、離れた人を含め
およそ600人から100万円を超すお金が寄せられました。
その歌碑は1988年8月に造られ、除幕式には、
約束どおりユーミンを迎えることもできました。
Aさん達、島を離れた卒業生の多くも久しぶりに集まりました。
歌碑には、ユーミンの直筆の歌詞が刻んであります。
ブラスバンドの演奏に迎えられたユーミンは、碑を見て、また教室から海を眺めて、
「あ、私の字。えっ?詞と同じ風景じゃないの」
とつぶやき大粒の涙をこぼしました。
「あの時のユーミンの感激ぶり、同級生の輝いた顔、忘れません。
今も思い出すたび、ふるさとっていいなって気持になるんです」
Aさんは、時折目をつぶり、しみじみと語ったそうです。
その後、奈留高では卒業式や終業式、記念行事で、
「瞳を閉じて」をみんなで合唱するのが恒例となりました。
校歌にはならなかったけど、奈留高の愛唱歌となったユーミンの「瞳を閉じて」、
島民が船で出港するときに流れる歌としても、この島全体に定着しています。
▼ユーミンの「瞳を閉じて」
参考:夕刊読売新聞 1996年(平成8年)2月14日
ウィキペディア:http://ja.wikipedia.org/wiki/瞳を閉じて