これは、読売新聞が主催する「全国小・中学校作文コンクール」で、
第65回文部科学大臣賞を受賞した作品です。
中学2年生の女の子が書いた作文です。
貴方は、この文章を読みどう感じるでしょうか?
<2015年 11月30日の読売新聞朝刊への掲載より>
<中学校>
「夢の跡」
父が、逮捕された。
自宅には家宅捜索が入った。毎日「いってきます」と「ただいま」を繰り返す門扉は、マスコミ陣で埋め尽くされた。
2015年5月26日、夕刻のことである。
6人の警官が玄関先で卵のパックに収まっているかのように待機する中、母は親戚に電話をして、駅前のビジネスホテルを押さえてもらうと、祖母に連絡を取り、そこから叔母が私を迎えに行くように手筈(てはず)を整えた。
テレビドラマでしか観(み)たことがないようなことが自分の家で起こっている。しかし、私はその現実を巨大なシャボン玉の中から眺めているような違和感でしか受け止められなかった。「渦中の人」は、台風の目の中にいて、時の流れが他と少し違うところにいるものなのだ。
父の容疑は「公職選挙法違反」である。先に行われた市長選挙に、妹である私の叔母を立候補させ、告示前にもかかわらず、「事前運動」を行い、また、その際、ボランティアを雇い、その報酬として金を払ったことが「利害誘導」に当たるというのである。
5月の連休明けに、叔母の陣営を手伝ってくれた市議が任意同行された。市議はその日のうちに逮捕され、マスコミは落選したうえ、違反者を出したと騒ぎ立てた。父はプロの選挙プランナーを雇っており、「選挙に落ちても違反は出すな」と細心の注意を払って取り組んできた。プランナーの決定事項イコール実行だったと私は聞いている。
やがて父は不眠症になり、精神的にも追い込まれ、不安定な日々が続いた。そして、父は本当に逮捕されることになった。
ホテルに到着すると、祖父母と合流することが出来た。なるべく普段通りに振る舞おうとする姿に、逆に痛々しいくらい私を気遣っているのを感じる。
私は周りが心配する程弱い人間ではない。ただ、明日、学校に足を踏み入れるために、いつもの百倍、勇気がいることは確かだった。母は、「大丈夫。いつも通り、行けばいいよ」と両肩を軽く叩(たた)いた>>>
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一番初めに会ったクラスメイトは、「あ、Tさん、おはよう」と、いつもと全く変わらない笑顔で挨拶(あいさつ)してくれた。次に会った人も、その次の人も、クラス中が何も知らないみたいに、日常生活を与えてくれた。全員が自然な形で私と接してくれていることの中に、「分かっているよ」という言葉が込められているような気がして、張りつめていた神経がほぐれていくのを感じた。
裁判所で保釈請求が受理されると同時に、父は起訴された。保釈当日はホテルに泊まり、翌日父は家に戻った。父は、私と母を片方ずつの腕で抱きかかえ、「本当によく頑張ったね。いろいろと迷惑をかけて、ごめんね」と言って、謝った。他にも様々なことを言っていたが、私は胸がいっぱいだったので、よく覚えていない。親から面と向かって謝罪されることなど、めったにないので、私はどうしたらいいか分からなかったし、照れくさい気持ちもあった。
選挙は、踊り狂った祭りのように盛り上がって過ぎ去り、その後、頭から冷水をかけられたようにその「酔い」から興覚めした。膨大な資金を「選挙」という魔物に食われた。
しかし、私自身は多くのことを学べたと思うし、精神的にも成長できたように思う。
両親や家族を選ぶことはできない。しかし、私はここに生まれてきたことを感謝したいと思う。家族への信頼や愛情は、当たり前すぎて見えないが、大きな波が押し寄せてきたときに、どうやって自分たちを守ろうとするかで、くっきり、はっきり感じることができる。
周りを見渡した時、この家族や親戚がいれば大丈夫。どんなことでも、これからも乗り越えられると思う根拠が、この顔ぶれにはある。
立ち止まらなければ、必ず次に乗る船は見えてくる。私はそう信じている。
2015年9月25日、父に懲役1年6か月、執行猶予5年の判決が言い渡された。