ありがとう、クウェート≪三陸鉄道≫

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れは、東日本大震災後のこと。

あまちゃんの舞台ともなって有名な、
久慈市での出来事です。

三陸鉄道が東日本大震災で甚大な被害を被って、
再開するには巨額の資金が必要でした。

元々赤字を出している会社です。
資金のメドが立ちません。

そこに使われたのが500億円のクウェートからの援助。

だから開通式の時には、
地元の人達がクウェートの国旗を振っていたのです。

このクウェートからの援助には、
それにつながる伏線がありました。

湾岸戦争後の自衛隊による活動でした>>>

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岸戦争時には、イラクから
海に機雷(海の地雷のようなもの)が投下され、
クウェートは船を航行させることができませんでした。

クウェートの主産業である石油。

その石油運搬に大いに支障を来していました。

この機雷処理の任務に当たったのが、
自衛隊員約500人。

このときの隊員の平均年齢が32歳。
最年少は19歳でした。

国内での世論はその当時、当然ながら、
「自衛隊は海外に赴くべきでない」でした。

世論の風当たりは、政府に向けてのものではありましたが、
直接任務に就く彼らの心情としては、
当事者として、肩身の狭いものがあったそうです。

行けば、朝4時から14時間ずっと働きづめ。

なのに隊員たちは「いやだ」「つらい」などとは一言も言わず、
黙々と任務を果たしたのでした。

そのおかげで機雷はすべて除去でき、
クウェートの人たちは、自衛隊員たちの働きに
絶大な信頼を置いたとのことです。

被災時の日本への緊急援助には、
このときのクウェートの人達の、
恩義をお返しする意思が込められていたのでした。

もちろん、自衛隊の機雷除去活動には、
日本国側の利害もあってのことではあります。

だから政治的なお話を美化するのは
慎んだ方がよいのかもしれません。

それでも敢えてこのような話を取り上げるのは、
最前線の現場で額に汗する人達にとっての現実が、
世論でも政治的な思惑でもなく、
そこで困ってる人達を救いたい意思に尽きるからです。

懸命に任務を全うするひたむきな思いと、
彼らの活動に感謝する人達、
それだけが最前線の現実ではないでしょうか。

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