坂東玉三郎さんは、24歳のとき心身症になり、人と話せなくなってしまいました。
売れっ子だった玉三郎さん、そこに至るまでは、
超多忙な生活に30ヶ月間休み無しの生活だったのです。
心身ともに、許容量を超えていたというのが自分でも分かったそうです。
そのときにも、仕事は休まず舞台に穴をあけることはありませんでした。
不思議なことに玉三郎さん、舞台にだけは出られました。
ただ、舞台から下りたらもう起きているのもつらく横になり、
誰とも話すことができませんでした。
具合が悪くなったのが8月でした。
そこから、9月、10月にかけては、ほとんどご飯も喉を通りません。
そして、11月には25日間で23か所を巡る巡業が控えていました。
玉三郎さんは、これは堪らない、
もう無理だと思い、お医者様にお願いをしました。
「この巡業を降りられるよう処方箋を書いてほしい」
と先生に相談をしたのです。
先生の答えは意外なものでした>>>
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先生は、玉三郎さんにこう言いました。
「巡業にお出かけなさい。そして舞台には立ち続けなさい」
ただし、もしダメならすぐに帰って来られるように、
会社にも代役の準備だけはしてもらいなさい、と付け加えました。
玉三郎さんは、不安を抱えながらも、巡業に出かけました。
巡業に出たら、まさかというほど、
まるで憑き物が落ちたように、ニ、三日で症状が治ったのです。
毎日環境が変わって、取り巻いている人間関係も変わったからでしょうか。
各地を転々とする中で、
「あれ、おまえご飯食べているじゃないか」と言われて、
「あ、本当だ」と気がついたのです。
舞台に穴をあけずに病を治されたのは、さすがに玉三郎さんです。
でも玉三郎さんはこう語っています。
「逆に仕事をしていたから治ったんだと思います。
先生から処方される薬では治りませんでしたし、
先生もそれを感じてらして、
仕事せずに家で寝ていても治らないと思ったのでしょう」
玉三郎さんにとって、その後も仕事が来ないという逆境はありませんでした。
ただ仕事が来て、それをこなしきれずに心身がついていけなくなる。
玉三郎さんは、それ以降の三十代、四十代にも
同じような症状に陥ったことが何度かありますが、
やはり仕事を休むことはなく、転地療法と時間の経過を待つ、
という方法で乗り切ってこられました。