これは既に数十年前にお亡くなりになった方が、
お孫さんに口伝えたご自身の体験談です。
時は、大正時代から昭和に至る頃の商家でのお話しで、
「わたし」は、そこの小僧さんでした。
大晦日のことです。
兄貴格の小僧さんから言い渡されました。
「お前たち、大晦日は、今年の勘定残り(売掛金)をもらいに行く日だ。
もらえない者は、正月休みは無しだぞ」
わたしが言い渡された勘定残りの家は、五軒長屋の一番奥の家でした。
薄暗い玄関を開けると、六畳一間で、小さい子供が寝ているのが見えました。
主人は留守らしく、前掛けで手を拭きながら出てきたおかみさんは、
髪が乱れ、夜目にも病身に見えました。
私が勘定を催促すると、
「小僧さん、以前おいでになった方にもお話ししましたが、
主人が商売に失敗し、その上、私が病気でこの有様です。
少しでもよくなりましたら、真っ先にお払いしますからと仰って下さい」
おかみさんは、そう言って頭を下げました。
入りたてのわたしにも、これは無理だと分かり、帰ろうとしましたが、
出がけに「もらえない者は、正月休みは無しだぞ」
と言われたのを思い出し、再び、腰をおろしました。
おかみさんがわたしに近寄り言いました。
「あなたはこの頃、お店に入られましたの?」
「はい、この春、入りました」
「そう……。私どもから持って帰らないと、ご主人に叱られますの…?」
「番頭が、もらって来ない者は、楽しみにしている正月休みに、
留守番だと言うんです」
おかみさんは、しばらく考えていましたが、
「楽しみにしているお休みに、留守番では可哀想だわ。
これお正月のお餅代ですが、お持ちになって…」
そう言って、古畳の上に50銭銀貨1枚を出してくれました。
(50銭は、現在の価値にして5千円~7千円ほどかと思われます)
が、このせつない家から、このお金をもらってよいものかどうか、
小僧のわたしでも迷って、手を出さずにいました。
すると、お金を手にして、
「あなた、何しているの。お店で心配しているわよ。
早く持ってお帰りなさい」
おかみさんは、そう言ってわたしの手に50銭硬貨を握らせました。
わたしは、悪いことをした思いで後味悪く、
重い足取りでお店に帰りました。
店に戻ると、大勢の目がわたしに注がれました。
使いを命じた兄貴格の小僧さんが言いました。
「もらって来たか。お前だけが時間をとり、
皆が待ちぼうけしていたんだぞ」
わたしはやっとの思いで、もらってきたのにと、50銭を出し、
そのお家の哀れな実情を報告していました。
すると、突然、この商家の年寄りのおかみさんがガラリと障子をあけ、
怖い顔で部屋にはいってきました>>>
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年寄りのおかみさんが、目を吊り上げて叱りました。
「番頭も番頭だ。なんてあこぎな事をさせるの。
聞けば先方の奥さんは、病気だそうではないか。
そんな事までして商売しろと、誰が頼んだ!」
そして、わたしにはこう言われました。
「お前、誰か一緒にやるから、ようく謝って返して来ておくれ。
子供がいると言ったね。
紀州から届いたみかんを持って行って差し上げなさい」
そう言って、女中さんにみかんを包ませ、もう一人の小僧を同行させました。
「二人とも風邪ひかないように、厚着して行きなさいよ。
皆の者は、二人が帰るまでは、鐘が鳴っても寝てはいけませんよ」
わたしたちは、先ほどの長屋を再度訪れ、玄関をたたきました。
おかみさんが、寝間着姿で出てこられました。
「まだ、何か用事がありましたの?」
「いえ、先ほどいただいたお金を出して、お宅様の話をしていると、
おかみさんが出て来て、大変叱られたのです。
すぐ返して来なさいというので、また参りました。
それから、これ、子供さんにと預かりました」
そう言って、お金とみかんを渡しました。
すると、おかみさんは深々と頭を下げ、
「そうでしたの……。ご主人は神様のようなお方だわ。
お店の方には、足を向けて寝れません」
そう言って、目に涙をためていました。
そして、わたしたち二人の手を握り、
「あなた方は、とても素晴らしいお店にご奉公なさってます。
どうぞ、辛いことがあっても長く辛抱してお勤めなさいね」
そのおかみさんは、玄関の外まで長くわたしたちを見送ってくれました。
やがて、近くのお寺から除夜の鐘が大きく響いてきました。