困っている人の顔を見ると、一声かけたくなるものだ。
私もこれまでの人生、励ましの言葉をたくさんもらってきた。
しかし、五十歳のときに「がんばれ」の一言は、
私にとって今までとは真逆の意味になっていた。
ある日突然、私の体を病魔が襲ったのだ。
副腎白質ジストロフィーという難病で、
両下肢が麻痺し、車いすの生活を余儀なくされた。
あまりのことに茫然とするしかなかった。
「大変だけど、頑張ってね」
多くの方から励ましの言葉をもらった。
今までの私なら、その一言で発奮していたことだろう。
しかし今回ばかりは、そう言われてもどうしてもがんばれなかった。
日常生活を普通に遅れる健常者の方に言われると、
「あなたはがんばって。・・・私は知らないけど」
と突き放されたような感じがするのだ。
次第に、励まされること自体が苦痛になっていった。
自分でも嫌になるほど、私は荒んでいった。
心の状態に比例するかのように病状も進行し、
ついには寝たきりの生活になってしまった。
ある日のこと、障がい者団体の方が家に訪ねてきた。
私より十歳年上の男性で、彼も車いすに乗っている。
何をしにきたのだろうと構えていると、
彼は穏やかな口調でこう言うのだ。
「なんだか近ごろずいぶん辛いようだね」
今まで励ましの言葉はたくさんもらってきたが、
彼のように私の心情に寄り添ってくれた人は初めてだったので驚いた。
温かな言葉だった。
荒んでいた私の心はパッと明るくなった。
気がつくと、抱え込んでいた苦しさのたけを、
彼に思い切りぶつけていた。
彼は目を細め、穏やかな笑顔で私の愚痴に
ひとつひとつ相槌を打ってくれる。
「毎日が大変なんだね。よくわかるよ」
同じ車いす生活という境遇のためだろうか。
彼に対しては素直になれた。
一通り愚痴を吐き出し、少し落ち着いてきたころ、
彼から問いかけがあった>>>
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「ところで、何かいいことは最近なかったかな」
いいこと・・・。
私は考え込んでしまった。
こんな自分に、いいことなどあるはずがない。
ないに決まっている……。
「どんなに小さなことでもいいんだよ」
いや、待てよ……。
最近は自分のことしか頭になく、
身の回りで何が起こっているのかさえ見ようとしていなかった。
彼の問いかけから、
自分の視野がいかに狭くなっていたかに気づかされた。
「そうだな……」
長い間考え込んだ私は、最近五年生になる息子が
学校から帰って遊びに出る前に、洗濯物を取り込み、
たたんでくれる話をしてみた。
その話にも、彼は温かく相槌を打ってくれる。
話すうちに、久しく忘れていた
子どもを思う気持ちが蘇ってくるのが分かった。
「すごくいい話じゃないか。
そんないいことが見えているTさんは、絶対大丈夫だ。
勝てるよ、きっと。
病気に勝てる。
だから僕と一緒にがんばってみませんか」
「一緒に」という言葉の響きが、私にはとても新鮮だった。
彼は、がんばれない私をすべて肯定してくれたのだ。
「がんばれよ」と突き放すのではなく、
私と同じ車いすに乗った目線で、
「一緒にがんばってみませんか」と寄り添ってくれた。
「一緒に」という言葉の響きが、私の中で大きく広がっていった。
「Tさんに会えてよかった。ありがとう」
そう言って帰った彼の後姿に、手を合わせ、
何度もお礼を言った。
こんなに晴れやかな気分になったのは、本当に久しぶりだった。
一時は寝たきりだった体も回復し、
今では車いすで旅行にも行けるようになった。
彼との出会いが、私を変えてくれたのだ。
その後、この障がい者団体のメンバーの一人として、
私も一緒に活動をさせてもらうことになった。
彼のように、苦しむ方のための手助けが出来ればと願っている。
一人一人の思いに寄り添う……
彼が私に示してくれた姿勢を常に目標にしている。
参考:PHP特集 ひかえめなのに強い人
「一緒にがんばってみませんか」を下敷きにしています。