壇蜜さんはお色気イメージが強くて、
好き嫌いが大きく別れるタレントさんかもしれません。
ある程度、作られたイメージをお届けする世界だから、
それは仕方ないかもしれません。
ご本人の手記からすると、
意外に地味な性格の方であることが分かります。
壇蜜さんの手記の一部を抜粋でご紹介します。
今でこそ芸能界でお勤めしていますが、
とても引っ込み思案で、臆病な子でした。友達も少なく、みんなの輪の中に入れないことも多かったのです。
大学生、社会人になっても疎外感を抱くことが結構ありました。
就職活動では、1つも内定をもらえていません。
就職氷河期だったとはいえ、
「私を必要としてくれる人はどこにもいないのか」
と絶望を味わいました。大学で取得した英語の教員免許を活かすこともありませんでした。
就職活動に失敗した私は、母の助け舟もあり、
調理師専門学校に通います。二年間で卒業し、和菓子屋さんで修業もしました。
早朝からあんこ作りをして、夜まで働きました。
しかし、そこでもうまくなじめず、飛び出してしまいます。
その後、ホステスをしたり、葬儀学校に通うなどしましたが、
何もかもが中途半端でした。ますます自分を責めるようになり、
人を寄せ付けない雰囲気を出していました。無気力でうつうつと過ごす毎日でした。
当時は「自己実現」という言葉がはやっていました。
自己実現とは、自分の夢や目標に向かって努力し、
実現させていくことです。現実の私は、自分が何をしたいのか、
自分が何者なのかさえわかりませんでした。自己実現と聞くたびに、世間から責められているようで嫌でした。
理想と現実の狭間でもがきながら、二十代半ばを過ごしました。
こうしてさんざん道に迷った末、
ある考えにたどりつきました。それは・・・>>>
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さんざん道に迷った末、たどり着いた考え、
それは、「自己実現を目指さないこと」でした。自分のしたいことではなく、
人が自分に何を求めているのかを考えることにしたのです。考えが変わったのは、「このままでは自分がダメになる」
というところまで、追い詰められたからかもしれません。お金がありませんでした。
家賃が払えないかもしれないと、ひやっとしたこともありました。
大学、専門学校と行かせてもらった親には、
これ以上頼ることはできません。切羽詰まったからこそ、自分を変えられたのだと思います。
今の私に強さがあるとしたら、
それは多くの挫折を経て獲得したものです。その後、雑誌のグラビアモデルにたまたま応募したことがきっかけで、
今の私につながっていきます。それまでの生き方で何もかも勝ち取れなかったことには、
意味があったのだ。当時の経験がこうして活きている。
今ならそう思えます。
「壇蜜」という芸名は自分で付けました。
「壇」は仏壇、「蜜」はお供え物の意味です。
ファンの方に喜んでもらえるよう奉仕する存在でありたい、
そんな思いを込めています。芸能界は、「自分をいかに前面に出すか」が勝負の世界だと思いますが、
私は自己実現や自己主張ではなく、あくまで「人の喜び」のために、
自分を提供したいと思っています。被写体である私自身も、素材に過ぎないのです。
とりわけ近しいファンの方々に
喜んでいただきたいという気持ちは強いです。イベントやトークショーにわざわざ足を運んでくださる方々には、
参加費以上の幸せな時間を味わっていただきたいと思っています。そのために密な交流を心がけています。
その内容は……その方々と私だけの秘密。
自分の活動について多くを語らず、
近しい人たちだけに見せる部分を大切にするのも、
自分の中で決めているルールです。