50歳少し前の私は、初めて銀行の支店長に任命され、
晴れがましい気持だった。
同期の仲間と比べても早い方であったし、私は有頂天だったのだろう。
支店に着任するや、私は猛烈な勢いで仕事をし、かなり無理もした。
業績がグングン上がっていき、数字の伸びるのが楽しみだった。
しかし好事魔多しである。
というより自分で魔を引っ張りこんだようなものである。
確かに業績は上がっていったが、
土台とも言える事務がしっかりしていなければ話にならない。
こういう時、ベテランの支店長なら、じっくりと行員の状況や、
お客様との対応を見ながら行動を開始するのであるが、
新米支店長の私は、いきなりアクセルを目一杯踏み込んでしまった。
ブレーキがきかない。
事務の悪化につれて、肝心の業績も落ちてきた。
私がイライラするから、皆疲れる。
疲れるから仕事が遅くなる、そんな悪循環となっていった。
こんな状態になれば私だって分かってくる。
「これはマズイ」と自分なりに反省し、
私はその打開策として行員との面接を開始した。
これは効果があった。
段々と皆の気持が分かってきた。
そんな折り、入行二年目の女子との面接となった。
その子は父親とは早く死別し、母親と妹の三人暮らしをしていた。
しっかりしており、役席の評判も良かった。
私も安心して、かなりくだけた雰囲気で話し合った。
最後に何か希望はないか、何でもいいよと気楽に言った。
この子はちょっと首をかしげ躊躇していたが、
意を決したかのように、
「支店長……、支店長は最近何で笑われないんですか?」
と聞いてきた。
「え?」と私はびっくりし、その子の顔をまじまじと見、そして
「俺、笑わないか?」と聞き返した。
その子は頭をコクンと下げ、じっと私の顔を見ている。
「どういうことか説明してくれ」と、
私も落ち着きを取り戻し改めて聞き直した。
彼女は緊張したようだが、しっかりした口調で話し始めた>>>
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彼女の話はこうであった。
実は支店長もご存じのことと思いますけど、私には父親がおりません。
私が子供の頃、死んでしまったんです。
だから、私、何となく父親みたいな人にあこがれを持っているんです。
私、本当の父はほとんど知らないんですけど、
自分で勝手に理想の父親像というのを作ってしまったんです。私の父は背が高く、ハンサムで、明るく素晴らしい人なんです。
写真で見る父は、そんな人じゃないんですけど……でも、
そんなの関係ないんです。私、こんなこと言っては失礼なんですけど、
支店長は、私の理想の父親像ではないんです……。でも一つだけあるんです。
それは支店長の笑い声なんです。
支店長が転勤されてこられた時は、
いつも大きな声で笑っていらっしゃったんです。毎日支店長の笑い声を聞いているうちに、
父はきっとこんな笑い声を出すんじゃないかなと、
自分で勝手に決めてしまったんです。それからはお札を数えていても、電卓を叩いていても、
支店長がお客様とか、行員の若い人なんかと話している時、
大きな声で笑われると、それだけで安心するんです・・・。だから、私、しょっちゅう父と一緒にいるみたいで、
銀行に来るの楽しみだったんです。この前も、支店長のとこにお客様が来られた時、
お茶を持って行ったら、支店長が冗談に
『この子は、うちの娘みたいなもんだ』と、大きな声で笑われた時、
私、うれしくて涙が出ちゃったんです……。それが、最近、支店長笑われないで、怒ってばかりいて。
……何かあったんですか?
気がつかなかった。
思い上がりもいいとこだったのだ。
この子は、別に私に注意しているわけでもなく、
ましてや励ましているわけでもない。
自分の気持を率直に話しているだけのことである。
しかし、私にはストレートに効いた。
支店長の笑い声か……私はちょっとつぶやき、
「わかった」と言い、それから二、三雑談して、
その子との面接は終わった。
私は支店長室で、しばし考え、
若い女の子の意見ではあるが素直に聞こうと思った。
そして、その後は、自分の持ち味である明るさを出していくように努めた。
その子は、入行三年目の二十一歳の時、
農家に嫁いで行くことになった。
お見合いで相手は三十歳を越えていた。
「若いのになぜ?」と周りの人はいぶかったが、
私には分かるような気がした。
きっと大きな笑い声で温かく包んでくれる人であろう。
私は「おめでとう」とそっとつぶやいたのである。