もちろん最近よくある理不尽な暴力ではないが、
俺は何かをやらかすたびに拳骨を食らっていた。
小柄だががっしりした体型の親父の拳骨は、いつもいつも痛かった。
不肖のバカ息子である俺が身を固めたのは、
30半ばになろうとした頃だった。
引退して、すっかり好々爺になってしまった親父だったが、
結婚式の挨拶は堂々としたもので、
まだまだ親父は健在だと安心したものだった。
それから1年ほどして、親父が入院することとなった。
小柄だが頑強だった親父にとっては、初めての大病と入院だった。
原因は不明だったが、腎臓機能の一部を失うだけで済み、
手術なしの薬物治療で大丈夫とのことだった。
その時点で少し親父が縮んで見えた。
そしてさらに1年後、今度は腫瘍が見つかった。
幸い悪性ではなかったが、切除された患部を見て、
ICUでチューブだらけの親父を見たとき、
さらに親父が縮んで見えた。
親父は生還と引き換えに、カミナリ親父の威厳を失った。
すっかり弱気になってしまい、何をしても疲れるからと中座をするし、
60過ぎでもなお若々しかった風貌は、一挙に衰えてしまった。
先日、父の日に実家を訪れたとき、
親父は俺が実家に残した飼い猫のことばかりしきりに気にしていた。
そんな親父の口調から、はっと気づかされるものがあった>>>
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飼い猫のことを語る親父の口調は、
まるで孫のことでも自慢するかのような、
そんな調子だったのだ。
俺は「はっ」として、身につまされる思いになった。
大病をしたことがなかった親父が、
最初の病気以来どういう気持ちでいたのか、そのとき痛いほどよく分かった。
晩婚で心配をかけたあげくに、
いつまでたっても、子供も作らないで新婚気分でいる俺たち。
あの気の短かった親父は、孫が欲しいとか何も言わずに、
そんな浮かれた夫婦の姿を暖かく見守ってくれていたのだ。
大病を重ね、恐らく死すら覚悟したであろう親父は、
どれほどに孫の顔を見たかったことだろうと。
そんな今の弱々しい親父の姿と、過去の親父の姿。
テーブルに置かれたありきたりの父の日のプレゼント。
相変わらず親不孝な俺。
それらがない混ぜになって、グルグルと心のなかで渦を巻き、
何だか涙がこぼれ落ちそうになった。
そして、心の中でつぶやいた。
なぁ親父。来年の今ごろは孫を抱っこできるように努力するよ。
だから長生きしてくれ。