戦後、日本の復興期のシンボルのような存在で輝き続けました。
3歳年上の中村メイコさんとは、何でも話し合える友だちでした。
二人とも、同時期に子役から芸能界で活躍してきた間柄、
長くて深いおつきあいでした。
おふたりは、よくゲイバーを飲み歩いたそうです。
ゲイバーの良さは、いろんなお客さんが来ても、わけへだてが無いことです。
大スターの二人であっても、
気さくに接客してくれるから、気が楽だったそうです。
その頃、中村メイコさんは結婚して、
お子さん(カンナさん)も小さい頃でした。
メイコさんは、朝になると「あっ、私そろそろ帰らなきゃ」
と店を出て自宅に戻り、
そのまま子どもの弁当を作るようなこともありました。
メイコさんは、その頃のことを
「ゲイバーから台所へつながっていた感じ」と振り返っています。
朝帰りでの弁当作りについて、娘のカンナさんからは、
こんな指摘を受けていたそうです。
「お母さん、今日は二日酔いだったでしょう?」
「お弁当がいつもよりあっさりしていた。
私は二日酔いじゃないから、コッテリでいいのよ」
カンナさんは、遠回しにメイコさんの飲み過ぎを注意していたのでした。
美空ひばりさんが、病院で療養中のことです。
メイコさんがお見舞いしたとき、ひばりさんにこう言いました。
「ごめんね。お酒が私には何ともないのに、
あなたの身体には悪い方に出ちゃって」
するとひばりさんは、
「それは違う!私はメイコの倍飲んでいたのよ」と主張したのです。
メイコさんは、別にお酒の量で負けず嫌いを発揮しなくてもいいのに、
と少し変に思いました。
しかし、ひばりさんが言いたかったのは、お酒の量のことじゃなく、
もっと別の、ちょっと寂しい意味があったのです。
その寂しい意味とは>>>
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ひばりさんはこう言いました。
「メイコには、止めてくれる人がいるでしょう、
神津さん(ご主人)やカンナちゃんたちが。
飲み過ぎちゃダメだと止めてくれるでしょう」
何だか寂しそうなひばりさんの表情でした。
「私はママが亡くなってから、(身内で)一番偉くなったから、
周りに『お酒』と言えばどんどん持ってきてくれる人ばかり。
私はメイコが帰ってからもひとりでまた飲んでいたの」
と明かしました。
さらに「止めてくれる人がいるってことは幸せなのよ」
とメイコさんに言い聞かせたそうです。
日本を代表するスターだった美空ひばりさんです。
だけど、心の中では、そんな寂しさを紛らすために、
ひとりでお酒を飲む時間もかなり多かったのです。
メイコさんは、「今でも、あの言葉を思い出すと、涙が出てくる」
と語っています。