高視聴率の人気ドラマでした。
ドラマの主人公、あさのモデルは実在の広岡浅子という人です。
明治維新を経て、日本が近代国家へと生まれ変わろうとするとき、
世間の価値観は封建的な男中心社会。
女性の権利という面では、
まだまだ道は果てしなく遠い時代でした。
そうした時代環境の中でも、
卓越した商才とともに、優れたリーダーシップを発揮した、
「実業家」広岡浅子という人は、ただ者ではありません。
ドラマの中では、
日本初めての女子大学を設立したい主人公あさ、
しかしながら、女性蔑視の社会風潮の中、
逆風に揉まれるシーンが展開されました。
銀行業でありながら「女の大学校」なんぞにお金を投入するのか、
という非難が起こり、預金集めにすら支障を来す事態。
時代には、それほど女性の地位向上に対する
凄まじいまでの抑圧があったのです。
結局、浅子さんは、大隈重信を始めとした有力者の協力を得て、
日本女子大設立に至ります。
その後の彼女は、やはり女性が人間らしくあるためにと、
社会活動にも取り組み始めます。
そのうちの一つが、御殿場にある広岡家の別荘で行われた
「勉強会」と称する合宿でした。
浅子さんのお眼鏡に叶った、これはという女子たちを集めての、
勉強会でした。
その中のメンバーの一人には、以前の朝ドラの主人公だった
「花子とアン」の村岡花子さんもいます。
実業家として修羅場をくぐり抜けてきた浅子さん、
当時の男中心社会は、近く崩壊するだろうと感じていました。
だからこそ忌憚のない女性同士の議論を通して、
女性たちに自分の考えをきちんと主張できる強さを
身につけてほしいと考えていたのです。
ある日の勉強会の時のことです。
一人の女子の発言が浅子さんの逆鱗に触れました。
その女子の発言はこうでした>>>
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「わたしは、父に虐げられる不幸な母の姿を見て育ったから、
自分は男に依存しない生き方をしたい」
浅子さんは、この発言を聞いて、
いかにも動機が私的であり、それに終始してほしくない、
と感じました。
また発言した女子の中に、それなりの可能性を感じていたからこそ、
厳しく苦言を呈したのです。
「自分のことだけ考えてはあかん。
日本の女性全体の倖せと地位向上を考えなあかん。
志を同じゅうする者が集まって運動を起こすことや。
家の中だけではのうて、外側から女性の立場を変えていく。
女たちのご一新や」
と説教したのでした。
この時、浅子さんに説教された女子というのが、
若き日の市川房枝さんです。
もう市川房枝さんの名前をご存じの方も少数派でしょうね。
戦前と戦後にわたって、日本の婦人参政権運動(婦人運動)を主導した
女性政治家であり、1980年(昭和55年)の参院選では、
87歳の高齢にもかかわらず、全国区でトップ当選を果たしています。
市川房枝さんの考え方は、現在、国連など国際政治の場で活躍されている
緒方貞子さんに、その系譜が引き継がれていると言われています。
ちなみに、民主党の元総理 菅直人氏も市川房枝さんの薫陶を受けていますが、どういうわけか、やがて菅さんは市川さんのもとを去っています。
参考:『小説 土佐堀川』(古川智映子)
広岡浅子の生涯 (別冊 宝島)