介護が必要な状態で、
自宅では適切な介護が困難な高齢者の方が入所する施設です。
Aさんが、ある特養を訪ねて、園長先生から聞いたお話です。
園長先生がAさんに質問しました。
「Aさん、当施設のように、そのほとんどの方が寝たきりのような状態や、
よくても車椅子を必要とする老人ホームにも、
『エリート』といわれる人がいるんです。
どんな人がエリートだかわかりますか?」
Aさんは、一瞬思い浮かべました。
お金持ちとか、名誉ある職業を経験した人、知的教養のある人、
具体的に言えば、大会社の社長や重役だった人、大学教授や校長先生だった人、
銀行の頭取、大きい船の船長、もしかしたら、本人ではなくても、
家族にそういうエライ人がいる方なのかと、
Aさんは、そのことを口に出してみました。
そうしたら、園長先生は、笑みを浮かべて説明してくれました>>>
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「Aさん、看護を必要とする老人ホームの中にあって、
エリートというのは、社会的なものとは違います。
老人ホームの中でのエリートと呼ばれる人は、
他人さまのことを考えることのできる人のことです」
園長先生は、こう説明してくれました。
年老いてくると、残念なことではありますが、
自分のことでいっぱいになってきます。
私たち現役が、相手のことと自分のこととを、五分五分で考えるのに対し、
加齢に伴って、五分五分が四分六分、三分七分…というように、
自分のことに重心がかかってきます。
それがごく普通の高齢者の様子です。
しかしそんな中でも、確実に自分以外の誰かに、
思いやりを忘れない人もいるのです。
たとえ自分が寝たきりであっても、
介護者の表情の変化に気づいて、
「あれ、元気なさそうだね」とか声をかけてくれます。
自分も車イスなのに、隣の車イスの方の脚を揉んであげる人もいます。
新しい入所者の方に、いろいろ声をかけて、
心をほぐしてあげようとする障がい者の方もいます。
そんな方々は、いまだに現役の気持を持つ「選ばれた人」
ではないかと思います。
認知症の方でも、まだら模様の合間に、
エリートの顔をのぞかせる人もいて、
介護者、看護者はそれらを見逃さず、
褒めて差し上げるようにしているそうです。
そんな説明でした。
Aさんは、思いました。
自分たちが住む世間一般についても、これは当たりではないかと。
老人ホームのエリートは即、実社会でもエリートではないかと思えたそうです。
お金や物、それに名誉や権力。
どれもそれなりの価値を否定するものではありません。
でも、どんなにそれらをたくさん持っていても、
死んで持っていけるものじゃないです。
与えたものだけが残ります。
友情や愛情や親切、目に見えないそれらには価値があるから、
人とのつながりを生み出します。
そんなつながりに重点を置いてきた人こそ、真のエリートではないだろうか、
改めて、Aさんはそこに思いを致しました。