私は小さい頃、両親が離婚し、どっちの親も私を引き取ろうとせず、
施設に預けられ、そこで育てられました。
そして三歳くらいの時に今の親にもらわれたそうです。
当時の私はその自覚などしておらず、記憶は無く、
その親を本当の親と思って中学二年まで過ごしてきました。
そして、突然の父との別れが訪れました。
脳梗塞で帰らぬ人になったのです。
そして、そんな最悪の時に、
「私とその親は家族ではない」
ということを、親戚の口から偶然にも知ってしまったのです。
葬儀のあと、私は母を問い詰め、本当のことを聞きました。
その時を境に、私は母を嫌いになりました。
死んだ父でさえも嫌いになりました。
たぶん、裏切られたとか思ったんでしょう。
元々家は裕福ではありませんでした。
ですから父が死んでしまった後は、
母が働きに出ざるを得ませんでした。
母は、朝は近くの市場で、昼から夜にかけてはスーパーで働きました。
それもこれも全て、私のためのものでした。
ですが、当時の私には、
それすらもうっとうしく思えてなりませんでした。
時には、登校の時間と母が市場から帰ってくる時間がちょうど重なることがあります。
友達と登校していた私は、ボロボロになった母と家族であるということを
友達に知られたくありません。
「いってらっしゃい」
と言う母を無視しては、友達に
「誰あれ、気持ち悪いんだけど」
という悪口すら言っていたものでした。
それを察してか、次の日に母はわざと目を伏せ、
足早に私とすれ違っていきました。
それでも、母は何一つ文句をいわず働いてくれていました。
そんな日が一ヶ月くらい続いたと記憶しています。
そんな雨の日、雨合羽を着て市場から帰ってくる母とすれ違いました。
当然無言です。
その姿はなんとも淋しく、哀しく、辛そうに見えたのです。
涙が溢れました>>>
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私はぐしゃぐしゃに泣きました。
私は一体何をしているのか。
ボロボロになってまで私を育ててくれているあの人に、
私は何をうっとうしく思っているのかと、凄まじい後悔が私を襲いました。
私は友達の目も気にせず、母に駆け寄りました。
でも、何を言っていいかわかりませんでした。
その時、ふと口をついた言葉が
「いってきます」
でした。
言えた言葉はたったそれだけでした。
でも、母は一瞬驚き、そして泣きました。
そして、何度も何度も
「いってらっしゃい。」
と言ってくれました。
私が友達の元へ戻ったあとも、母は私を見ながら手を振って
「いってらっしゃい。」
と言ってくれていました。
今では、彼女こそが本当の私の母親です。
たとえ戸籍上はどうあれ、そう思っています。
恩は返しきれないくらいあります。
母は
「それが親の勤めだよ。」
と言いますが、でも、じゃあ今度は子として、
私が親の面倒を見ていきたいです。
この人が母親で、最高に良かったと思います。
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