黒澤映画は、世界に名のある監督・俳優に今なお影響を与えています。
そんな神様のような存在でありながら、
多くの失敗、挫折を繰り返しています。
61歳のときには、いろんな人との意見の衝突、
映画界の不況など思うように映画が作れないことに絶望を感じ、
自殺未遂を起こしています。
しかし、死の淵から生還して気づいたことがありました。
「やっぱり俺は映画が好きなんだ!」
「やっぱり俺は映画が撮りたい!」
自分の原点を見つめ直した黒澤監督は、ここから復活します。
その後の大作「影武者」の脚本にとりかかったときのことです。
予算は何と12億円!
不況の日本映画界は、これほど莫大な費用をねん出する力はありませんでした。
世界の黒澤の映画であっても、
誰もこのお金を出すと言ってくれる人はいなかったのです。
しかし、黒澤監督、なんとしても、どうしてもこの映画が撮りたい!
その気持に揺るぎはありません。
自ら200枚もの絵コンテ(映画の内容をマンガのように絵で表したもの)を
100日かけて、水彩画で描き上げたのでした。
気迫の絵コンテでした。
その絵コンテを見せられた、あるアメリカ人が動かされました。
「クロサワが映画をつくれないのはおかしい!」
二人の有名なアメリカの映画監督です>>>
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その二人とは、フランシス・F・コッポラ監督とジョージルーカス監督です。
今ではこの二人も神話的存在ですが、
この二人ですら「私はクロサワの弟子」と称しているのです。
ちなみにコッポラ監督の「地獄の黙示録」は『七人の侍』に影響を受け、
ルーカス監督の「スターウォーズ」は『隠し砦の三悪人』に
影響を受けて作られた作品だそうです。
ふたりは、『影武者』外国版のプロデューサーを担当。
さらに20世紀フォックス社に50万ドルの資金を出すように交渉してくれたのです。
こうして『影武者』の制作がスタートしたのでした。
やがて完成した『影武者』は、カンヌ映画祭でグランプリを受賞。
さらに興業収入が27億円を超えて、日本映画の新記録を作りました。
映画が撮れないという絶望的な状況で、
使われないかもしれない200枚もの絵コンテを描いた黒澤監督。
その才能だけでなく、その行動がコッポラとルーカスの心を打ったのでしょう。
黒澤監督の語りです。
「これでもか、これでもかと頑張って、一歩踏み込んで、
それでも粘ってもうひと頑張りして、
もう駄目だと思ってもズカッと踏み込んで、
そうしていると突き抜けるんだ」
参考本:心が折れそうなときキミを救う言葉
著者:ひすいこたろう
出版:ソフトバンク文庫