伊東四郎さんらと「てんぷくトリオ」を結成し、
後年はテレビで、似顔絵描きのうまさを生かした司会などをやっていました。
「減点パパ」という番組でしたね。
男性タレントのお子さんから、パパの特徴などを聞き出しながら、
番組中に似顔を仕上げていくという展開でした。
その三波伸介さんの子息、
二代目・三波伸介さんが語るお父さんのエピソードです。
或る日、親父と共に新幹線に乗っていた。
親父は乗り物に乗ると
普段のハードスケジュールのため、すぐ寝てしまう。寝ようと思ったその時、
一人の品の良いおばあさんが私達の前に立っていた。親父にサインを求めに来たのだろうと思った私は、
「後ほど、私が座席の方へ、サインをお届けに上がるので
座席番号をお教え下さい」と云おうとした。だが、願いは違った。
おばあさんは
「こんなご無理を申し上げて申し訳ないのですが…」
と、前置きして語られた。第二次世界大戦でご主人は出征され、戦死。
国の英霊になられた。
留守を護ったおばあさんは、東京大空襲で全てを失い、
愛するご主人の写真も焼失し、自らの記憶の中にしか、
ご主人の姿を見る事が出来ない。親父への願いはこうだった。
「どうか私の記憶が確かなうちに、
主人の似顔絵を描いていただけないでしょうか」東京大空襲を経験している親父は涙ぐみ、
眠いのも省みず「私が描いてあげましょう」と胸を叩いた。おばあさんの話を丁寧に聞き、時間を掛け、
出来るだけ細かく仕上げた。親父はニッコリと笑い自信ありげに
「お母さん、どうですか?」と似顔絵をおばあさんに見せた>>>
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おばあさんは、暫くジーッと絵を見ていた。
ものすごく長い時に感じた。
親父はニコニコ笑っていた。
おばあさんは、長年たまっていた苦労と喜びが相まってどっと涙が溢れ出た。
すると似顔絵を抱きしめて号泣した。
かすかにしゃくり上げる息の間から声がもれた。
「そっくりです。主人にそっくりです。これが主人です…」
あとは声にならなかった。
私は横でもらい泣きしていた。
親父も喜んでいた。
おばあさんは何度も何度も深々と親父に頭を下げ、
お礼の言葉を述べられた。そして「伸介さん、あなたは神様です!!」
これは俺には出来ない芸当だ。
やはり、似顔絵は、親父の方が上手い。