1972年の前半、佐藤栄作首相の後継をめぐり、
田中角栄と福田赳夫が激しく争っていた時期のことです。
閣議室で1時間も会談していた角栄と福田が
別々に部屋を出てきました。
福田の軽快な足取りに対し、仏頂面の角栄。
対照的な両者の様子からして、
室内でいわゆる「角福調整」が行われたようでした。
各社の「角番」記者が取り巻いていましたが、
角栄はそれには答えず足早に歩いて行きました。
<今はダメそうだな……>
角栄の気質を知るベテラン記者たちは、
空気を読んでそれ以上、深追いはしませんでした。
ところが当時読売新聞記者だったHさんは、
あいにく角栄の担当を命じられたばかりだったのです。
当時通産相だった角栄をエレベーターまで追いかけたHさん、
単刀直入に質問を浴びせかけました。
「大臣、今回の角福調整の結果はどうなったのでしょうか?」
すると角栄が大声でこうまくしたてました。
「角福調整なんてないっ!そんなものはないんだっ!
オレの話を日ごろから聞いてるくせに分からんのかっ!
25年議員を馬鹿にするなっ!!」
取り付くシマもなくなったHさんは、
もうひとりエレベーターに乗っていた別の社の記者とともに、
車で通産省に向かう角栄を見送るしかありませんでした。
確かに質問は至らなかったかもしれないが、
何しろ番記者になったばかりで、
話を日ごろから聞いていたわけではありません。
こういったことはまま起こりうる話です。
気を取り直したHさんは、一連の経緯をキャップに報告し、
砂防会館の角栄の事務所に向かいました。
気分は重いのですが、
番記者が向かう場所はそこしかないからです。
ところがそこから考えられないことが起きました。
Hさんが他社の記者と雑談していたところ、
角栄がそこに姿を現したのです。
「また怒られる!」
Hさんは身をすくめて下を向きました>>>
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Hさんが緊張して身を固くした瞬間、
角栄は、なんと深々と頭を下げたのです。
「今朝がたはオレも興奮して大きな声を出して申し訳ない。
あの後、大いに反省してな……。
この通り謝る」
一国の大臣が、一介の番記者に対し、
非礼を詫びるということ自体、異例中の異例です。
しかし、それを簡単にやってのける角栄の株が、
番記者たちの間で急上昇したことは言うまでもありません。
この2カ月後、角栄は自民党総裁選に勝利し、
政界の頂点に登りつめることになります。
参考本:「田中角栄 心を打つ話」別冊宝島(宝島社)