父方の祖母は気位高く勝気な人で、
老いて引き取った母方の祖母をいじめ抜いた。
当時、女学生だった私にも母の気兼ね、
苦労がよく分かった。
どうなることかと心痛めていたある日、
母は黙って村はずれの小屋を買って、祖母を移した。
朝晩の食事を運ぶのが私の役目だったのだが、
母方の祖母はひな人形のような人で、
しばらく生きて静かに死んだ。
父方の祖母が寝たきりになったのは、
それから三年後のことである。
あさはかな私は、
母がどのような仕返しをするかとドキドキした。
ところが母は真心こめて、というか、
実に淡々と温かく姑を看取ったのである。
勤めから戻った父が襖を開ける。
たまたまおむつの替えの場に行き合わせたりすると、
「ただいま」よりも先に「うっ」と鼻をおさえて
逃げ出すしまつである。
父は母に「すまん」と言い、
「それにしてもあんたはあの臭さによう辛抱できるなぁ」
と感に堪えないふうであった。
それに対する母の答えに、
父も私も驚かされたものである>>>
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母は笑って、
「なあんも。私には何もにおいませんですよ」
と答える。
父や私が不思議がると、
介護する人の鼻を封じるのは、
一にも二にも病む人の信心のおかげ、
「おばあさんの徳です」と言うのであった。
なるほど父方の祖母は
ある神様への朝詣でを欠かさぬ人ではあったが、
それが理由だとは思えない。
母は父を死ぬほど愛していた。
子どもの私の目にも照れくさいほど愛していた。
もともと献身的な母の性格に、
父の喜ぶ顔みたさが半分はあったとしても、
本人は気づかずに姑を心底大事にしたのだと思う。
そうしてひとまわりも若いのに、
母の方が父より先に死んだ。
母を抱いて抱きしめて、
号泣したあの日の父が忘れられない。
仏前の座布団が凹むほど母を恋い慕った父は、
私の手を払いのけるようにして、
10カ月後に母の処へ旅立った。
夫婦は二世(にせ)。
本当かもしれない。
引用:PHP2005年2月号
「母が姑を大事にした理由」川柳作家・時実新子(2007年逝去)