ある日の朝日新聞「天声人語」より。
次のような記事が心に留まりました。
早くに父が亡くなり、
家には新聞を購読する余裕がなくなった。好きなのでなんとか読み続けたい。
少年は新聞配達を志願した。
配った先の家を後で訪問し、読ませてもらおうと考えたのだ。
元島根県出雲市長で衆院議員を務め、先日87歳で亡くなられた岩國哲人さんの思い出だ。
日本新聞協会の新聞配達エッセーコンテストの
大学生・社会人部門で今年、最優秀賞になった。題して「おばあさんの新聞」
小学5年の時から毎朝40軒に配った。
読み終わった新聞を見せてくれるおじいさんがいた。
その死後も、残されたおばあさんが読ませてくれた。
中3の時、彼女も亡くなり、
葬儀に出て・・・
葬儀に出て、岩國さんは初めて、
ある事実を知ることになります>>>
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中3の時、彼女も亡くなり、
葬儀に出て実は彼女は字が読めなかったと知る。「てっちゃん(岩國さん)」が毎日来るのがうれしくて
(おばあさんは新聞を)とり続けていたのだ、と。涙が止まらなくなった……
岩國さんはこれまで新聞配達の経験を語ってこなかった。
高校の同級生で長年連れ添った夫人にも。
しかし、今回、おばあさんへの感謝の気持ちを表す好機と思い、応募した。
「やっとお礼が言えて、喜んでいます」。
きのう電話口で岩國さんはそう話した。
70年以上、朝日新聞を読んできたという。
市長時代には本紙オピニオン面の「私の紙面批評」欄を担当し、
当時の政治に関する社説を厳しく批判したこともある。いつぞやも「思い込みや独善が一つの欠点」と、
本紙への苦言を頂戴(ちょうだい)した。新聞週間がはじまった。
失った信頼を取り戻すため、
身を切るような出直しに取り組む覚悟を新たにする。岩國さんの叱咤(しった)を肝に銘じつつ。
引用:朝日新聞 (2014年10月15日)天声人語