地方新聞にさだまさしさんが寄稿している「風のうた」
というエッセーがあります。
ある日のさださんの記事は、心に残るものがありましたので、
ご紹介させていただきたいと思います。
僕がソロになったころ、リハーサルにきたギタリストの
福田幾太郎は僕の音楽など軟弱だと少しばかにしていたようで、
仕事で嫌々やっている感じがした。帰り際、デモテープを押しつけ
「新しいアルバムです。
一応聞いておいてください」
とけんか腰に言った。彼はうなずき、不機嫌そうに
「分かった」と答えた。翌日、早めにリハーサルに行くと、
既に来ていた福田が僕に駆け寄り、
「君の音楽をちゃんと知らずに失礼した。
心を入れ替えて一生懸命やるからヨロシクね」
と右手を差し出した。その日から彼は兄貴分の「タローちゃん」になり、
バンドの頼れるリーダーになった。それから数年後、デビュー10周年コンサートの打ち上げ会場で、
酒を飲めないタローちゃんが缶ビール片手に真っ赤な顔で
「朝まで評論家連中と話したが、
やはり君の一番の理解者は僕だね。
それが良く分かった」と話し、
「万が一、君が世界中を敵に回しても、
僕は君の味方だから」。そう言って人の輪に消えた。
その数日後にさださんは、忘れられない
衝撃的な知らせを受けることになります>>>
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「万が一、君が世界中を敵に回しても、
僕は君の味方だから」。うれしくて照れくさかったが、
彼はこれほどすごい言葉を残し、
そのたった数日後に交通事故で突然この世を去った。ショックで半年ほどアルコールに浸った。
ある日、夢で彼に叱られてわれに返り、
「Bye Bye Guitar」
という歌を書くことで、ようやく別れが言えた。あの時のタローの言葉は、それ以後の僕を支えている。
人には理解者がいる、味方がいるというだけで
超えられる困難がある。そうして長い年月が過ぎた。
当時2歳だった彼のまな娘の羽衣が今年嫁ぎ、
旦那さんとコンサートに来てくれた。心を込めて「Bye Bye Guitar」を歌ったら、
やっぱり涙が出たよ。11月2日、33回目のタローの日だ。
引用:佐賀新聞 平成28年10月31日
風のうた 僕を支えてくれた言葉「タローの日」より