現在は現役を引退し、
「ヴィクトリーナ姫路」の監督に就任した竹下佳江さん。
女子バレーボールにおいて、世界最小・最強のセッターとして、
大活躍してきました。
2005年より全日本チームのキャプテンとなり、
2012年のロンドン五輪で銅メダルを獲得しました。
背の高さが第一条件のようなバレーボールで、
背の低い竹下さんが世界の最前線で戦ってきた事実、
そこに彼女の苦難の数々がしのばれます。
2000年のシドニーオリンピックの最終予選に、
竹下さんは、控えのセッターとして出場しました。
このときの全日本代表は、正セッターが不調のため、
最終予選の時には竹下さんに交代していました。
そして、クロアチア戦で破れ、予選敗退が決定します。
日本女子バレーとしては、
このとき初めて五輪本選出場を逃す結果となってしまいました。
そうなると、敗退に対する犯人探しが始まります。
様々な要因が考えられましたが、その中の一つに、
竹下佳江さんの身長が槍玉に上がりました。
竹下佳江さんの身長は159センチ。
小柄なセッターの中にあって、ひときわ小柄でした。
これについて「159センチのセッターでは世界に通用しない」と、
大バッシングが起きてしまったのです。
このとき、あまりの非難の強さに、
負けん気の強い竹下さんも罪悪感に苛まれるようになりました。
そして、2年後の2002年には所属していたNECを退社し、
完全にバレーボールから離れます。
地元の北九州に帰郷し、体力を活かして介護の仕事をしようと考え、
ハローワークに通っていた竹下さんです。
やがて、失意の竹下さんに
カムバックの声をかける人が現れました>>>
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当時V1リーグ(上から2番目のリーグ)であったJTの監督、
一柳昇さんが、竹下さんに声をかけたのです。
「一緒にVリーグ(一番上のリーグ)昇格、制覇の夢に挑もう。
そのためには、君の力がどうしても必要だ」
心のこもった一柳監督の度重なる説得で、
竹下さんの心が動きました。
やがて彼女は、JTの選手として復帰することとなり、
一柳監督の狙いどおり、みごとJTをVリーグに昇格させたのです。
なぜ、一柳監督が強く竹下さんの力を求めたのか、
そこには次のような理由がありました。
とにかく竹下さんには
「根性があった。
何度も何度も同じことを繰り返す練習でも
コーチや監督が根負けするほどくらいついてくる」。
また
「素晴らしい身体能力があるのに、もったいない。
159センチは弱点かもしれないけど、
大きな武器にもなりますから」とも語っています。
技術的には、
「セッターは相手をいかにだますか。
手首の中にボールを収めること。
膝や足首を使って下半身の”ため”を作り、ボールを上げること。
ギリギリまでボールを持つ意識を第一にしました。
そこを竹下はよく理解していました」
と彼女の武器を説明しています。
竹下さんのトスは、多くのアタッカーが
「ボールが止まる感じ」と表現していたのは、
そこらの技術的強みがあるからなのでしょう。
しかし、チームを強くするためには、
メンタル面での「何か」が必要です。
監督でもコーチでもない、
仲間の中で気持ちを引っ張る誰かの存在です。
一柳監督は、その点でも竹下さんの力量を買っていたのです。
「セッターは(他の)5人が背中を見てるんだ」
ゲームが始まったら監督もコーチも助けてはくれません。
そんな時、頼りになる力、セッターの闘志が背中に漲るとき、
チームのひとりひとりが勇気づけられるのです。
参考URL:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%8B%E4%BD%B3%E6%B1%9F
http://london2012.nikkansports.com/column/technique/archives/f-cl-tp0-20120705-978239.html
http://matome.naver.jp/odai/2134468674285232501