「この新しいまな板はいつから使うの?」と私が母に聞くと、
「そのまな板はまだ使うことはできないのよ」
とお母さんに言われました。
「どうして?」と私が聞くと
お母さんは困ったような表情をしていました。
新しいまな板をどうして使うことができないのだろうと、
私は不思議に思いました。
お母さんは、
「新しいまな板は事情があって、
今はまだ使うことができないのよ」
と使えない理由を話してくれました。
そのまな板は、夏の終りにお母さんが
おばあちゃんからいただいたものだそうです。
おばあちゃんは、悪性リンパ腫というガンで大学病院に入院し、
治療を終わって退院し、家で静養していますが、
いつ再発するかわからないのだそうです。
もし、万一今度入院したら家には戻れないかもしれないので、
そうなる前に おばあちゃんがお母さんへ贈り物をしてくれたのです。
その贈り物がまな板です。
どうして、贈り物がまな板なのか不思議に思いました。
でも、あとで理由がわかりました>>>
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おばあちゃんが、まな板をお母さんに渡す時にこう言ったそうです。
「もし、私が死んだら、あとに残った人達はいそがしいから
そのうち、私のことなど思い出すこともなくなるでしょう。
でも、台所でまな板をトントンたたくたびに、
きっと私のことを思い出してくれるでしょう」
お母さんは、その言葉を聞いて泣いてしまい、
そのあと何も言えなくなったそうです。
おばあちゃんは、自分がガンであるということを知っていながら、
ひとつも不満を言わず、いつも「今が一番幸せだよ」と言っています。
おばあちゃん
「人間お金を残すとけんかの種を残すから私は何も残さない」
と言っています。
「ガンが再発し、痛みが激しくなったら、
医者に痛いと正直に言えばいい。
医者はちゃんと痛みを止めてくれるからね。
だから、私は何も心配なんかしてない」とガンを恐れていません。
人間は、人生の最後に自分の家族に
何を残せばいいのだろうかとふと考えました。
お金を残したり、財産を残したり、人それぞれだと思います。
マザー・テレサは、死んだあとに二枚のサリーという質素な服と
それを洗うバケツ、そして布袋などわずかな物だけを残しました。
マザー・テレサは、生きているうちにすべての物を
貧しい人々にささげたのです。
私のおばあちゃんが、生きているうちにあとに残そうとしている物は、
まな板というささやかな物です。
でも、私達家族にとっては「最高の贈り物」であると思いました。
’98年ベスト・エッセイ集「最高の贈り物」文春文庫から