昭和19年、大分県S村の農家に嫁いでいた祖母は、
畑仕事に追われる毎日だったという。
祖父は気性が激しい人だったらしい。
S村では若者がみんな戦地へ出兵した。
祖父は片足が少し不自由なこともあって、
出兵はできなかったが、祖父の三人の弟たちも
次々に日の丸の旗に見送られていった。
そんな家族が減って寂しい暮らしだが、
祖母の家には、祖母が嫁いでくるずっと前から
飼っていた一匹の黒牛がいた。
名前はベエという。
ベエは祖父の子供の頃から、
この家の畑仕事を一緒にやってきた。
だから人間でいえばずいぶんと高齢だろう。
いつも優しい目をしたおとなしい黒牛のベエ。
祖母もたくさんの話を、ベエに聞いてもらった。
ある日、祖母の家に役人が来た。
役人は、牛を戦地の兵隊の食料として送るので欲しいと言う。
戦争の最中、戦地へ送る肉用牛は貴重だった。
しかしベエのような農耕牛は、
たいした食肉の価値が認められてはいなかったので、
それには及ばず、ずっとこの田舎で暮らしていくのだろうと思っていた。
しかし、戦争も状況が厳しくなっていったのか、
ベエにも遂に出兵の通知が来たのだ。
役人はそのままベエを連れていった。
ベエは、まるで隣の畑に行くように、
静かに歩いていった。
「ベエのような年老いた牛まで送らんでもいいやろうに。
畑であんなに頑張ってきて、戦争に……」
祖母の言葉を最後まで聞かずに祖父は、
「みんな戦地で生き延びるためや」
と激しく怒鳴ったという。
ベエの出兵式は、次の日、祖母の家から20キロ離れた駅で行われた。
祖父は夜も明けぬうちから駅へ向かい、歩いて行った。
祖父が駅に着いたころには、
空はすっかり明るくなっていた。
駅一帯の貨車に並んだ牛に祖父は目を瞠ったという。
そのすべての牛の体格が、あまりにもいいからだ。
赤いタスキの横掛けが堂々としたその骨格に映えている。
毛並みが風に揺れ、鼻息が勇ましい。
ベエが見当たらない。
もしかして、もう使い物にならないと、
処分されたのか>>>
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せめて出兵の姿を見たかった。
祖父は懸命に貨車の前に身を乗り出してベエを探した。
すると、たくましい牛の足の間から、
か細い泥のついた足を見つけた。
ベエである。
体は他の牛の半分しかない。
なんとも痩せている。
しかし、他の牛と同じように、
立派な赤いタスキを掛けてもらっている。
軍歌が流れ、ゆっくりと貨車は動き出した。
いよいよ出兵だ。
祖父の前をベエの貨車がやって来た。
すると、ベエは祖父を見たという。
いつもの優しい目だ。
そして、
「モーーー」
と一声だけ鳴いた。
この日、家に帰った祖父は、祖母にこの話をした。
「ベエがオレを見て静かに鳴いたんよ」
涙声の祖父だった。
祖母は後にも先にも、
祖父の涙を見たのはこの一度だけだという。
ベエが戦争に行ったこの日。
出典:らくだのあしあと(NTT広報部編)
「ベエが戦争に行った日」 N.R.さん