その力強い筆さばきには息をのみます。
翔子さんは、新生児期に敗血症にかかり、
後にダウン症と診断されました。
当初、その事実を知った母親の泰子さんは、
我が子と共に死のうとも考えたそうです。
しかし、夫の熱心な想いと、
遅咲きながらも少しずつ育っていく子の姿を見て、
泰子さんは、死ぬことを思いとどまったといいます。
そして5歳になった翔子さんに、
書家であった泰子さんは書道を教え込みました。
父親は、何も言わずにこやかに
翔子さんの書道を褒めてくれたそうです。
母の泰子さんは、ダウン症のことを隠しがちでしたが、
父親は少し違いました。
「翔子は、千人に一人授かる大切な子なのだよ」
とむしろ翔子さんを誇りに思い、言葉通り大切に育てました。
悲嘆にくれたりはせず、お祭りの時なども、
翔子さんを高々と抱き上げ、肩車をしたりして遊んでいました。
その優しいお父さんは、翔子さん14歳の時に亡くなられました。
やがて翔子さんは、その才能を開かせ、
数々の名のある賞を受賞し、名を知られるようになります。
2012年NHKの大河ドラマでは、
「平清盛」の題字を担当するまでになりました。
その翔子さんが、ニューヨークのロックフェラービルで
取材された時のことです。
そこは高いビルで知られている場所です。
「翔子さんが今まで登った一番高い所はどこ?」
と聞かれました。
それに対する翔子さんの答えがふるっていました。
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「今まで登った一番高い所はどこ?」
と聞かれた翔子さん。
すかさず口をついて出た答えは、
「お父様の肩車」
でした。
翔子さんのお父さんは、彼女を深く愛していました。
翔子さんは、あの高いロックフェラービルの最上階に立ち、
そのビルよりもなお父親の肩車のほうが高かったと言うのです。
この高さは、父親の愛の深さであり、人格の高さだったのでしょう。
感性豊かな翔子さんは、それを感じているのでしょう。
翔子さんへの父親の思いを、
母、泰子さんも忘れはしないといいます。
参考:PHP特集「いい習慣がいい人生をつくる」(PHP出版)
金澤泰子さんの談話より