旧友が拙宅を訪ねてくるという。
何しろ何十年ぶりの再会だものだから、
俺は年甲斐もなく胸がときめいて、
何日も前から妻に指図して、家を整え、古いアルバムを用意し、
障子の張替えまでさせたもんだ。
そうしているうちに、何十年も忘れていた
中学時代の思い出がありありと蘇ってきてね。
そういえば川遊びが好きでアユ釣りの得意だったアイツは、
中一のとき淵に落ちて九死に一生を得たっけ。
ところが泳げない俺は、
真っ青になって大人を呼びに行ったものだ。
自分で飛び込んで助けなかったことを後ろめたく感じて、
俺はしばらくはアイツの顔が真っ直ぐには見られなかったっけ。
だけどヤツは勇気がある男だったよ。
俺が上級生にタカられて、腹を蹴られているのを見つけると、
すかさず道端の石ころを拾って、
上級生に殴りかかって俺を助けてくれたからな。
試験でも運動会でも、いつだって二人は味方だった。
そのくせしょっちゅうケンカをしたけどさ、
そうさ、そう殴り合っても俺たちはずっと親友だった。
思い出した。
二人で同じ女子に惚れたことがあった。
俺のためにアイツは黙って身を引いて、
そうして俺はもちろんヤツのために身を引いたってわけさ。
ま、子供じみたそんなあれこれをキリもなく思い出して、
何だかソワソワしてたもんだから。
高校生の娘から「まるで恋人に会うみたいね、お父さん」
なんて冷やかされる始末だ。
俺ときたら自然に頬が緩んで、二、三の思いでを
妻と娘にも語って聞かせたもんだよ。
ヤツは寒い日曜日にやってきたのさ。
待ち兼ねたオレは、大喜びで家に招じ入れた。
ところがどっこい話はいっこうに弾まなかった。
ヤツの目はまるで死んだ魚のように曇っていたし、
服装もだらしなく、疲れ切った風体だった。
彼の用件は・・・>>>
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彼の用件は金だった。
何だかわけのわからん品物をカバンから出して並べて、
ご利益があるからン十万円で買ってくれだと!
バケツで水をぶっかけられた気分さ。
「まあ商売の話は抜きにして……」
俺は楽しく昔話をしようとしたけど、
彼は昔のことなどすっかり忘れていて、
売ることで頭が一杯らしかった。
妻が俺の袖を引いて、
仕方なく10万円のツボを一つ求めることにした。
彼は急に愛想がよくなったけど、尻がまったく落ち着かず、
引き留めるのを振り切って早々と帰っていった。
玄関でヤツの背中に「頑張るんだぞ」と、
そっと声をかけたら、「うん」とうなずいて、
振り向いた横顔が寂しすぎて、目頭が熱くなっちまったよ。
重い気分でヤツを見送って、部屋へ戻ったら、
さっきから一部始終を見ていた娘が、
なぜか庭の方を向いて突っ立っていた。
その肩が小刻みに震えて、しきりに目をこすっている。
泣いているらしい。
「なんだ、どうかしたのか?」
振り返った娘は、赤い目をこすりこすり、
小さな声でこう言った。
「しかたないよね、溺れそうになっていたって、
助けてあげられないことだってあるよね」
俺は、少年時代に水辺で知ったあの後ろめたさをまた味わっていた。
出典:らくだのあしあと「頑張るんだぞ」S.M.さん
(NTT出版)