起き上がろうにも、体に重りがついてしまったようで動かない。
「ご飯どうするんだろう」とか、
「洗濯物たまってるな」とか頭に浮かんで気は急くのだが、
いかんせん体が言うことを聞かない。
そのうちウトウトして人の気配でふと目覚めると、
娘二人が心配そうに私の脇に座っていた。
「お母さん、大丈夫?」
「お腹すいたでしょう?」
「ハイ、これ二人で作ったんだ。食べてみて」
二人が差し出したお盆の上には、
お味噌汁とおにぎりがチョコンと乗っていた。
塩がきつめのおにぎりを噛みしめていたら、
何だかすごく懐かしい味がした。
そうだ!
あの時のおにぎりの味だ。
今から、もうかれこれ30年近く前のこと。
私はイギリスで、学生生活を送っていた。
一卵性母娘とよく言われた私たちは、
それまで1週間も離れて暮らしたことはなかった。
20歳過ぎても、まだまだ甘ったれだった私は、
留学なんて心細くてイヤだと必死に抵抗したのだが、
「外国に出して、視野を広めるように」
という父の遺言を母は守った。
極寒の1月、私はヒースロー空港に一人降り立った。
イギリスのどんよりとした灰色の空は、
私をますます不安にさせた。
学校と下宿ではカルチャーショックの連続だった。
私に割り振られた部屋は子供部屋で、
両手を伸ばせば壁と壁とに手が付く狭さだ。
ベッドは子供用で、頭と足までキッチリの大きさ。
お湯がもったいないから、お風呂は週1回で、
あとはシャワーのみ。
しかし、食生活のギャップが一番堪えた。
週に二回は出たマッシュポテトの上に、
肉粒が数えるほど薄いサラサラのミートソースが
かかっただけの夕食。パンすらつかない。
お腹がすいて眠れなかった経験は初めてだった。
毎晩、ホームシックで涙があふれ、
ついに我慢しきれなくなって、
コレクトコールで日本に電話をかけた。
1回、2回、受話器の向こう側で、
コールする遠い音が聞こえる。
「どなたもお出になりません」
オペレーターの声がした。
なんで居ないのだろう……。
私の留守中に、母がたった一人で
冷たくなっていたとしたら……。
不安がよぎった>>>
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翌日は休みの日で、いつもより寝坊して目覚めた私に、
女主人が階下から大声を上げた。
「お客様よ、早く!」
いったい誰かしら?と思いながら、階段を駆け降りてみれば、
なんと母が玄関口に立っているではないか!
私はしばし呆然、あんぐり口をあけたままだった。
母の話によると、私を無理やり送り出したのはよいけれど、
心配で心配で居ても立ってもいられなくなって、
飛んで来てしまったとのこと。
我慢の限度まで一緒なんて、さすが一卵性母娘だ。
そして、母は手提げバッグの中から小さな紙包みを取り出した。
「何か用意しようと思ったけど、急に来ちゃったからごめんね。
でも、おにぎり持って来た」
包みの中には、母独特の丸型の小ぶりのおにぎりが五つ。
一つ口にほおばったら、塩気の懐かしい母の味がした。
私の目からポロポロと大粒の涙がこぼれた。
あの時のおにぎりには、
子を想う母の愛がたっぷりかくし味で入っていた。
その味をよく似た娘たちのおにぎりには、
母を想う子の心が一杯つまっていたのだと思う。
そして、おにぎり一つの愛は、確実に母から私、
そして娘へと伝わっているのだ。
参考本:らくだのあしあと(NTT出版)「おにぎりのかくし味」