【私が今死んだら…】 ~当時闘病中だった小林麻央さんの手記~

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2017年に乳がん闘病中ながら、35歳の若さで亡くなられた
フリーアナウンサー・小林麻央さんは、2016年に
イギリスの公共放送BBCが選ぶ今年の「女性100人」に選ばれていました。

「女性100人」はBBCが毎年、
社会に影響を与えた女性を選んでいるものです。

麻央さんは、ブログを通じて闘病について赤裸々につづり、
多くの人の心を動かしたとして選出されました。

その麻央さんが、BBCに向けて寄稿した文章がありますので、
それをここでご紹介させていただきたいと思います。

2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。
娘は3歳、息子はまだ1歳でした。

「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫!」
と思っていました。

けれど、そんなに簡単ではありませんでした。

今も、私の身体は、がんと共にあります。

私は、テレビに出る仕事をしていました。

病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには
「怖れ」がありました。

なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。

隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち、
生活するようになっていきました。

1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、
緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。

その先生のある言葉が、
その後の麻央さんの生との向き合い方に
大きな影響を与えることになりました。

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和ケアの先生の言葉です。

「がんの陰に隠れないで!」

私は気がつきました。

元の自分に戻りたいと思っていながら、
私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とは
かけ離れた自分になってしまっていたことに。

何かの罰で病気になったわけでもないのに、
私は自分自身を責め、それまでと同じように
生活できないことに、「失格」の烙印を押し、
苦しみの陰に隠れ続けていたのです。

それまで私は、全て自分が手をかけないと
気が済まなくて、
全て全てやるのが母親だと
強くこだわっていました。

それが私の理想の母親像でした。

けれど、
病気になって、
全て全てどころか、
全くできなくなり、
終いには、入院生活で、
子供たちと完全に離れてしまいました。

自分の心身を苦しめたまでの
こだわりは
失ってみると、
それほどの犠牲をはたく意味のある
こだわり(理想)ではなかったことに
気づきました。

そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、
幼稚園の送り迎えができなくても、
私を妻として、母として、以前と同じく、
認め、信じ、愛してくれていました。

私は、そんな家族のために、
誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。

私は、闘病をBlogで公表し、
自ら、日向に出る決心をしました。

すると、たくさんの方が共感し、
私のために祈ってくれました。

そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、
(コメント欄を通して)教えてくれました。

私が怖れていた世界は、優しさと愛に
溢れていました。

今、100万人以上の読者の方と繋がっています。

人の死は、病気であるかにかかわらず、
いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら
人はどう思うでしょうか。

「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。

だから、
与えられた時間を、病気の色だけに
支配されることは、やめました。

なりたい自分になる。

人生をより色どり豊かなものにするために。

だって、人生は一度きりだから。

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