大学4年の春、紺のスーツに身を包んで、
就職活動をしている時のことでした。
大阪の地下鉄の、暗くて陰気なトイレに入りました。
入っていきなり、出会い頭に驚きました。
そこは女子トイレです。
なのに、ねずみ色の服を着た年老いた男が立っていたのです。
ひとり宙をみつめて突っ立っていました。
私は、あからさまに嫌悪感をもよおし、
(ここは女子専用よ。なんであんたがここにいるのよ!)
と、その気の弱そうな男を思いっ切り睨みつけました。
思うようにならない現実にぶち当たっているし、
前日も痴漢に遭って、ほとほとうんざりしていたこともあります。
そんな私に、思いがけずその男は、ペコンと頭を下げました。
「うん?」
と私は思いました>>>
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その時、個室から「おとうさん、終わりましたよ」と、
年配の女性の声がしました。
私の前を申し訳なさそうに過ぎて、男は個室に向かいました。
女性は、ふらつく身体を彼に支えられるようにして出てきました。
肉がそげ落ちた痩せた身体。
筋が走る細い腕の先にある杖。
足元が定まらず、一歩一歩進むのに哀しいほど時間がかかります。
水道の蛇口も彼がひねります。
ゆっくりと手をこすり合わせる彼女の小さな背中。
洗い終わった手を、彼がズボンのポケットから出してきた
タオルで拭いて上げます。
そして、二人は丁寧に私に頭を下げて、
ゆっくりゆっくりと、ホームへ続く階段を降りていきました。
私はただじっと見ていました。
見続けていました。
身体が動かなかったのです。
「夫婦とはこういうものなのか」
感動と激しい後悔が私の中で渦巻き、熱く火照りだしました。
彼はどんな気持で、この若い娘の
侮辱に満ちた視線に耐えていたのだろう。
気がついたら、頬から涙がこぼれ落ちました。