おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい

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う十数年前に、北陸地方の新聞に投稿された記事です。

石川県の主婦T.C.さんが、
「母への感謝を綴った詩に涙」
というタイトルで書かれた記事が感動的でした。

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美術館なんて趣味に合わないし、書道なんてつまらない
・・・という女子高生の一団の言葉が、
美術館でボランティア監視員をしていた私の耳に入り、
思わず口にしてました。

「あそこにお母さんのことを書いた書があるの。
お願いだからあの作品だけは読んでいって」と・・・。

女子高生たちは不承不承、私の指した書を鑑賞しました。

すると一人がすすり泣き、そこにいた生徒全員が耐え切れずに、
泣き出したのです。

その書は生まれたときから母に抱かれ、
背負われてきた脳性マヒの人が、
世間の目を払いのけて育ててくださった、
強いお母さんへの感謝の気持ちを綴った詩でした。

「今の健康と幸福を忘れていました」と高校生たちは話し、
引率の先生方の目もうるんでいました。

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その詩の作者は山田康文くん。
詩を書として作品化したのは、
七尾市にある願正寺の住職で、書道家の三藤観映さんでした。

康文くんの詩を読み感動して筆を取ったのです。

康文くんは、生まれた時から全身が不自由で
書くことも話すことも出来ません。

養護学校の向野先生は、康文くんを抱きしめ、言葉を投げかけます。

投げかける言葉が、康文くんのいいたい言葉の場合はウインクでイエス、
ノーの時は康文くんが舌を出します。

詩の出だしの「ごめんなさいね おかあさん」だけで
1ヶ月かかったといいます。

気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれました。

これを読んだどなたもが、心打たれるかと思います>>>

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田康文くんと養護学校の向野先生との
合作と言ってよいかもしれません。

その詩はこちらです。

      

      ごめんなさいね おかあさん
      ごめんなさいね おかあさん
      ぼくが生まれて ごめんなさい

      ぼくを背負う かあさんの
      細いうなじに ぼくはいう 
      ぼくさえ 生まれなかったら
      かあさんの しらがもなかったろうね

      大きくなった このぼくを 
      背負って歩く 悲しさも
      「かたわな子だね」とふりかえる 
      つめたい視線に 泣くことも
      ぼくさえ 生まれなかったら

      ありがとう おかあさん
      ありがとう おかあさん
      おかあさんが いるかぎり
      ぼくは生きていくのです

      脳性マヒを 生きていく
      やさしさこそが 大切で
      悲しさこそが 美しい 
      そんな 人の生き方を
      教えてくれた おかあさん

      おかあさん
      あなたがそこに いるかぎり

                (山田康文)

そしてこの詩が完成した2ヶ月後、康文くんは亡くなりました。

前記した養護学校の向野先生は、
『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』という本を著しました。

向野幾代先生は、こう述べています。

「あの子の詩は障害者が『ごめんなさいね』なんて、
 言わなくてもすむような世の中であってほしい、というメッセージ。
 今もこうして皆さんの心に、呼びかけているんですね。
 いま、障害者の問題は、高齢者の方たちの問題でもあります。

『老いる』というのは、障害が先送りされているということ。
 歳をとると、足腰が不自由になって車椅子が必要になったり、
 知的障害になったり・・・。
 健常者の方も、たいていはいつか障害者になるんですよ。
 だから康文くんたちは私たちの先輩。
 世の中をより良くするよう切り開いてきた、パイオニアなんです」

※山田康文さんは、昭和35年6月2日、奈良県桜井市で生まれました。
そして、昭和50年6月11日、天に召されました。
15歳の誕生日を迎えた直後でした。

参考:「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」向野幾代著(扶桑社)

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