理由はたぶん「おとなしいから」「無口だから」「弱いから」
だったと思います。
学校には友達がいないし、
毎日イジメられて泣きながら家に帰りました。
怖かったのは、学校にいる時間よりも下校の時でした。
朝は、高学年と列を作って登校したから何もされません。
学校でも先生がいたので、何かあれば先生が助けてくれました。
でも、帰りは誰も助けてくれる人はいません。
いじめっ子達は、下校時、執拗に僕をイジメました。
家まで帰る時は、危険を避けるために、
知らない人の家の庭を横断して帰ったり、
田んぼを渡ったり、色んな逃げ道を探しました。
それでも、見つかってイジメられる。
そんな日々が続きました。
母親はパートに出ていて、5時まで家に帰ってきません。
大きな声を出して泣くと、同じ団地に住む同級生にバレて、
翌日クラスでバカにされます。
だから僕は、いつも年中置きっ放しのコタツに、
頭だけを突っ込んで泣いていました。
母は、僕がイジメに遭ってるだろうことは、
薄々感じてるようでした。
だけど、そのことで、母は学校やイジメっ子の家には行きませんでした。
…というより行けなかったのです。
親父が大変厳しい人だったから。
親父は侍みたいな人で、柔道の有段者でした。
バツイチで、僕が生まれた時には、50歳を過ぎてました。
世間では年取ってからの子は可愛い、というそうですが、
親父は、この上なく厳しく、
僕にとっては、いじめっ子よりも怖い存在でした。
親父は、子供のケンカには、
絶対に大人が入らないように、母に言ってたのです。
ある日、いつものようにイジメられて、
泣いて帰ってきたら、そこに親父がいました。
会社の創立記念日らしく、半日勤務で、
午後から帰ってきてたのです。
親父は、泣いていた僕に向けて、
いきなり平手打ちを飛ばしました。
そして、家の外に放り出し、
「泣かした相手を泣かしてこい!
さもなくば、帰ってくるな!」
と、ドア越しに怒鳴りつけました。
僕は途方に暮れて外にいると、いじめっ子が通りかかり、
またイジメられてしまいました。
たまたま通りかかった母が助けてくれたのですが、
僕はその日10時まで家に入れてもらえませんでした。
そんなあまりにも情けない僕を見かねて、
母が空手教室を僕に勧めました。
とんでもない、そんな所とても怖い、嫌だ、
と断固として僕は拒否しました。
しばらくして、母は今度は
「ピアノ教室に行こう」と言い出しました。
こちらは面白そうだし、友達もできそうだし、
喜んで母についていきました。
しかし、そこはピアノ教室ではありませんでした。
なんと集会所の空手教室だったのです。
うまく母に嵌められたのでした。
目の前には、筋肉質でヒゲをはやしたおっかなそうな先生がいます。
臆病な僕は、ガタガタ身震いしていました。
空手の先生が、鋭い眼光で僕に声をかけました>>>
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先生は、母から僕のことを色々聞いていたようです。
「お前、イジメられたのか?」と聞きました。
僕がうなずくと、
「俺もだ!ガッハッハッ!」と笑い飛ばしました。
「空手をやれば強くなれるから、
イジメられないぞ」
そう言われたのが今でも特に印象に残っています。
それから、僕はそこに強くなるべく通い始めたわけですが、
先生は、見かけによらず、とても優しい人でした。
怒ったところなんて、少しも見たことがありませんでした。
練習も面白く、当初の予想に反して楽しいものでした。
その空手教室には、同じくらいの子供が結構いましたが、
イジメなんてありませんでした。
当時、学校には友達がいませんでしたが、
空手教室には友達がいたので、結構救われました。
空手を始めて何ヵ月か経ったら、
だんだん、いじめっ子が怖くなくなってきました。
イジメられても走って逃げず、
無視して歩いて帰れるようになっていました。
ある日、最近リアクションの少ない僕のことが面白くないのか、
朝から、近所の同級生10人くらいに囲まれました。
最初は囲んで罵倒されてましたが、
何か気持が少し強くなっているので、
それほど応えませんでした。
やがていじめっ子の一人が、精神的に耐えられなくなったのか、
僕の足を思いっきり蹴ってきました。
この瞬間、なぜか恐怖を超えることができて、逆に
「こいつらを痛めつけてやろう」と決心しました。
というより、キレたという感じでした。
僕は、片っ端から突きと蹴りを入れていきました。
誰も向かってくる者はなく、
みんな散り散りに逃げていきました。
それでも、僕の1年間の思いは晴れず、
逃げるヤツを追いかけて捕まえ、殴りつけました。
足の速いヤツには石をぶつけました。
大変な状態になったのです。
団地内の出来事だったので、
すぐに近所の大人が出てきて僕を取り押さえました。
それでも、泣きながら暴れていたのを覚えています。
その日の夜、僕の家には同級生の親たち、
20人ほどが集まりました。
全員怪我をした同級生の親たちでした。
ひたすら母親は謝っていましたが、
親父は、同級生の親の前で僕を褒めました。
どの親もヒステリックに騒ぎ出しましたが、
親父は自分の半分ほどの年の親たちに対し、
説教を食らわせました。
その騒動は、階段から団地中に響き渡りました。
結局、親父の迫力勝ちなのか、説教に説得力があったのか、
ヒステリックな当初の勢いが治まり、
「お互いに悪かった」ということで話が落ち着きました。
それから学校ではイジメはなくなり、
少しは友達もできて平和な生活が訪れましたが、
あの10人とは立場が逆転していました。
気分がよかったので、
「また殴るぞ」などと脅したりもしました。
軽い冗談でも異常に怖がる奴らを見ると、
気分爽快になりました。
騒動の後、道場に行ったら先生が言いました。
「いじめっ子をやっつけたんだな」
続けて先生が聞きました。
「空手でそいつらやっつけて気持よかったか?」
僕がうなずくと、先生は
「でもな、もうケンカはするなよ」と言いました。
「お前はいじめられて辛かっただろ?痛かっただろ?
でもここでは友達ができて、楽しかっただろ?
…どっちがいい?」
僕は「友達がいて楽しい方」と答えました。
「だったらもうケンカも復讐もするなよ。
お前だったら分かるだろ?
イジメられると、どんなに悲しい思いをするか。
どんなに憎まれるか。
自分と同じ思いを他人にさせたくないだろ?
友達に憎まれたくないだろ?」
なんか子供心に響くものがあって、
素直にうなずいたら、
先生は笑いながら、固くてゴツゴツした手で
優しく頭をなでてくれました。
それから僕はイジメをすぐにやめて、
かつてのいじめっ子達と友達になりました。
そのうちの一人とは今でも良い友達です。
小学校の記憶なんて、ほとんど残ってませんが、
小3の、この頃のことはなぜかよく覚えています。