耳が聞こえなくなってからが、本領発揮のベートーヴェン

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が聞こえない音楽家。

そういえば、もはや旧聞に属しますが、
実は聞こえてた?そして影武者に作らせてた、
という作曲家のことが話題になりましたっけ。

もう名前も出てきません。
不要なことは、右から左に忘れるようにできてるんでしょう。僕らの頭は。

さて、ベートーヴェンです。

この人は正真正銘、音楽をやってる最中に難聴で悩み苦しんだ人です。

難聴で耳が不自由になった。
ほぼそれと同時に失恋まで重なり、
ベートーヴェン、死ぬことを考えました。

ここに、人生に絶望したベートーヴェンが、
ふたりの弟宛てに書いた遺書があります。

読んでおられる方、おそらく「なにか」にお気づきになりますから、
本の原文をそのまま引用してお知らせします。

引用本:心が折れそうなときキミを救う言葉
著者:ひすいこたろう
出版:ソフトバンク文庫
引用箇所:電子書籍キンドル位置NO.1834

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お前たちは、私のことを気難しい人間だと思っているだろうが、
それは大きな誤解だ。

私がこの6年間、
ずっと耳の病に悩まされていたことを知らないからだ。

人と話すときに「耳が聞こえないので、もっと大きな声で話してください」
とは決して言えない。

音楽家なのに音が聞こえない苦しみがお前たちにわかるか?

病気が知られるのが怖いので、
今は用事があるときだけ人に会うようにしている。

(中略)

絶望し、死のうと考えた。

しかし、作曲を続けたいという思いだけがそれを止めた。

人々よ、もしこれを読んだら、
きっと私に対する見方がどれほど間違っていたか知るだろう。

そして、つらい運命を背負っている人たち、
こんなにも不幸な人間が音楽家として、
努力し続けたことを知り、勇気をもってくれ。

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いかがでしょうか?

これ、死ぬ前に書き残すつもりの文章です。

最初はそんなかんじですが、途中から何だか
希望のメッセージに変わってると思いませんでした?

そうです。

絶対に知られたくない耳の病気のことをオープンにし、
悩みを告白しちゃったら、スッキリしたんじゃないかと思います。

これ、僕らも袋小路に行き詰まったり、
くよくよ迷い道してたり、そんなときにいい方法です。

胸の中でわだかまってることなんか、紙の上に書き出してみたら、
案外スッキリするもんです。箇条書きでいいんですよね。

さらにその紙を水に流すか燃やすかしたら、
さらに気持がリフレッシュします。

人は、何かの不安や悲しみなど、まず向き合って、
そして受け容れることから、切り替わりが生じることがあります。

紙への書き出しは、そのためのいい方法じゃないかと思います。

さて、ベートーヴェンに話を戻します。

自殺するつもりで死ななかったベートーヴェン。

その後10年間にわたり、代表作を続々世に出します。

むしろ代表作のほとんどは、耳が聞こえなくなってからの作品なのです。

そしてベートーヴェン、最後の交響曲「第九交響曲」です。

この交響曲には、「苦しみを超えて歓喜に至れ」
というメッセージが込められていますね。

年末の定番です。

この第九の初演では、ベートーヴェン自らが指揮棒を振りました。

その初演での演奏後、ベートーヴェンは、
客席を振り向くことができなかったといいます。

耳が聞こえないから、観客の反応がわかりません。

「自分の思ってる音楽ではなかったのではないか」

そんな不安のため、その場に立ちすくんでしまったのです。

いつまでも、そこに固まったままのベートーヴェンに、
アルト歌手がそっと寄り添って、彼を振り向かせました。

すると、そこには・・・・・・>>>

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ると、そこには、

……拍手のスタンディングオベーション!

割れんばかりの観客の拍手が続きます。

その音声は聞こえなくとも、
観客の感動がベートーヴェンにも伝わりました。

ところで、ベートーヴェンのピアノの鍵盤には、歯でかじった跡があります。

歯で噛みついて、骨で音を感じようとしていたのです。

絶望の中にあり、彼がもがきつつも活路を求めた証しが、ピアノの鍵盤に残っているのでした。

「歓喜」それはいつだって、苦しみの先にあります。

もし、今、苦しみの真っ最中にあるあなた。その背中合わせまたは、ほんの一寸先に待っているのは「歓喜」かもしれません。

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