ある日、Kという転校生が来た。そこの子だった。
Kは転校が多かったからなのか、
あまり友達の出来ないタイプだったからなのか、
いつも一人だった。
僕の家と彼の住む宿泊所が目と鼻の先だったので、
僕とKはすぐに友達になった。
僕は入ったことがない宿泊所の中に、何度も入れてもらい、
意味もなく有頂天だったし、
Kも僕の家に来て一緒に遊んだ。
Kは、ほんの数ヶ月で転校していって、
僕もしばらくして、Kのことは忘れてしまっていた。
やがて宿泊所は無くなり、歳月は流れ、
バブルがやってきて、そこはマンションになった。
最近、家の近所にヤクザそのまんまのベンツが停まっていた。
その前を通ると、中からやはりヤクザそのまんまの男が降りてきた。
こっちを凝視するその男に警戒し、
僕は子供の手を握った>>>
↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓
その男は礼儀正しく、僕に話しかけてきた。
「25年ほど前、あそこにあった宿泊所をご存じですか?」
僕は、その男を土地の権利関係のブローカーだと思った。
「憶えてますよ」と答えた。
男の表情がやや緩み、言った。
「○○(僕の名前)さんですか?」
「そうです」
「あそこに25年前住んでて、
一時期□□小学校にいた子を憶えてますか?」
「Kか?」
「そうです!!」
僕が名前を憶えていたのが、よほど嬉しかったのか、
Kの目は、その場でみるみる潤んできた。
この四半世紀、どんな人生を送ってきたのかは、
推して知るべし、家に誘うとKは固辞した。
「あんたのお母さんは、優しくて上品で、
映画の中にいるような人でした。
俺は、あんたに遊んでもらったことよりも、
あのお母さんが忘れられないんです。
だから……会えないです」
同級生だった僕との会話にKは、ちょっと変ではあるが、
終始敬語で通した。
また必ず会いに来るから、と名刺を渡してKは去って行った。
今年、Kから年賀状が来た。
「お母さんに今度ご挨拶にうかがいたいと思っております」
とあったから、僕も返事を書いた。
「うちの母もKのことは、よく憶えてるそうです」と。
ちなみに、うちのオフクロは、せがれの僕に言わせれば、
おっそろしいババァなんだが。
それでも、少年時代、お母さんのいなかったKにとっては、
素晴らしい母親に見えていたのだろう。
参考:泣ける2ちゃんねる(コアマガジン)