その創業者ウォルト・ディズニーは、見るからに温厚な風貌で、
夢の提供者に相応しい優しい人柄をしのばせます。
しかし、彼が自らの夢を実現するまでには、
何度も何度も、逃げ出したくなる試練が訪れます。
やはり偉大な夢には、それに相当する大きな苦悩が
セットになっているのでしょうか。
今、夢の象徴ともなっている「ディズニー」ですが、
必ずしも、成功の道筋が一直線に引かれていたわけではない。
すべての道は紆余曲折であることを、
以下のダイジェストで、ご覧ください。
ウォルト・ディズニーは、子どもの頃から人を喜ばせるのが大好きでした。
絵が得意で、絵を描いて皆が喜んでくれるのを見るのが
何よりうれしかったのです。
けれども彼の家は決してお金持ちではありませんでした。
小さい頃からアルバイトもしました。
その上、8歳の時にはお父さんが病気になってしまい、
家はますます貧しくなります。
持っていた農場も手離すことになりました。
でもウォルト少年はへこたれませんでした。
お父さんを助けて、新聞配達をしながら学校に通いました。
ウォルトはどんな大変な時にも大好きな絵だけは忘れませんでした。
真剣に勉強し、描き続けました。
そして、いつしか
『自分は絵で人々に勇気を与えていこう。
愛と喜びを与えていこう。それを一生の使命にしたい』
と願うようになりました。
さて、そうはいいながらも、
ウォルト・ディズニーの未来への夢は、周りの人には
なかなか分かってもらえませんでした。
反対もされました。
彼はまず小さな広告会社で働くことから出発しました。
宣伝の絵をかく仕事です。
大きな夢に向かって、まず現実の一歩を踏み出したのです。
そのうちに映画作りも始めました。
だんだん名前も知られるようになりました。
やがて独立し、数人のアニメーターを呼び寄せて、
事業の拡大を目指しました。
わずか20歳での事業拡大には、やや無理があったようです。
ウォルトは、制作に没頭するあまり、資金のやり繰りがつかず、
この会社は倒産に追い込まれることになります。
しかし、その後もウォルトはあきらめず、
活躍の場を映画産業の本場ハリウッドに移し、再起を図ります。
ここで、ウォルト・ディズニーは、兄のロイ・ディズニーとともに、
再度のチャレンジで、新会社を設立しました。
これが実質上の「ディズニー社」の原型でした。
ここでも、当初は素晴らしい作品群を世に送り出し、
順風満帆な滑り出しでした。
しかし、いい時は長くは続きません。
ここでも逆風の試練がウォルト・ディズニーを待ち構えていました。
ウォルトは、信用していた人に騙され裏切られてしまいます。
夜もろくろく寝ないで作った大事な映画の権利を
奪われてしまったのです。
そのうえ、多くの社員たちも共に去って行ったのです。
ウォルトは、またも、悲しみのどん底に
つき落とされてしまいました。
お金もない。
仕事もない。
頼れる味方もない。
何もかも失くして、いよいよ『もうダメだ』と思いました。
そんな時、ふとある「友だち」のことが、
ウォルト・ディズニーの頭に浮かびました。
その友だちこそが、ディズニーの劇的な飛躍のキーとなります。
その友だちとは>>>
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孤独なウォルトの心に浮かんだのは、ある『友だち』のことでした。
友だちとは、以前、ウォルト・ディズニーが
独りぼっちで絵を描いていた時、
部屋に現れたネズミのことです。
心優しいウォルトは、そのたった1人の友だちに
自分のパンを分けてあげていたのです。
『そうだ、彼がいる!』ウォルトは、
その小さな友だちを新しい主人公に決めました。
これが劇的な『ミッキーマウス』の誕生だったのです。
ミッキーマウスは、たちまちアメリカ中の人気者になりました。
明るく、元気いっぱいのミッキーに、大人も子どもも、
そしてどこの国でも人々は惹きつけられました。
このように、ミッキー・マウスは、ディズニーの
最も苦しい時の涙の中から生まれたのです。
他のサクセスストーリーでも、よく示されています。
一番つらい時、その時こそ一番大切な時なのですね。
ピンチの時には、新しい道が開けるチャンスの時でもあります。
続けてディズニーは、ドナルド・ダックやダンボ、バンビなど、
楽しい仲間を世界に送りだしていきます。
その後も彼には、人に騙されたり、
お母さんの突然の死に遭ったりと
悲しいことや辛いことが待っています。
けれども、まるでそれを跳ね返すように、
彼の夢はどんどん大きくなり、
やがて、世界中のどこにもない
「夢の王国」を作りたいと思うようになりました。
「たくさんの人を喜ばせてあげたい」
その気持ちから、あのディズニーランドが生まれたのです。